「あたりまえ」って苦しいね

人が多い時間はうるさくて疲れてしまうという理由で、毎日、全校登校時間から少しずらして登校している我が家の姉妹。

1時間目が始まってからの登校になってしまうことも多いので、運動会が近くなると登校時間で大抵どこかしらの学年が外で運動会練習をしていた。

それを見ながら次女が「なんで笛の音に合わせてみんな揃って歩かないといけないんだろう?わたし、あれが嫌なんだ」と言っていた。

そう言われてから「確かに、なんであんなことを練習する必要があるんだろう」って思うようになった。言われる前まではさほどそれに違和感は感じていなかったけど、言われてみると何でなんだ。大人が笛を吹いたらそれに合わせて動くように「訓練」されているようにすら見えてきた。
それからは練習を見るたびに「これ、誰のための練習なんだろう…」「たのしいのかな…」って気持ちになって、見ていて苦しくなるようになった。

子どもの素直な言葉から得られる新しい視点は、今まで自分の中にあった「あたりまえ」をゴリゴリと崩してくる。

崩れる瞬間はとても痛い。
何が痛いのかわかんないけど、なんかこう、こころのどっかが痛い。

自分が受け入れてきた「あたりまえ」
これは、ただただ「そういうもんだから」と自分で考えること無く、なんとなく受け入れて、大人の言われるままに生きてしまった過去の自分を壊す痛みのようなものかもしれない。

運動会、長女は去年・一昨年に引き続き不参加。多分来年も不参加。

次女はグラウンドの隅っこで私と夫と支援員さんと4人の小さな輪を作ってひっそりと自分の学年の出し物のときだけ参加した。
やっぱり笛に合わせて歩くことは、彼女のプライドとして許せないことだったらしい。その気持ちを大事に出来ることがすごいことだと思う。

とはいえ、目の前で踊りを踊ってくれたときはちょっぴり目頭が熱くなった。でも決して楽しそうではなかったし、多分来年は出ないだろう。
私も夫も今回の様子を見て、これ以上頑張らせたいとも思えなかった。

私はきっと子どもたちにこれからも自分の心に棲み着いた「あたりまえ」をどんどん切り崩されていくんだと思う。
全部切り崩されることで固まっていた価値観の岩山の中から自分の意見がむき出しになるんだとしたら、それを壊す痛みはあっていい。
「あたりまえ」に素直な視点で疑問を唱えて逆らってくれる子どもたちには感謝せねばならん。

でもほんと、心にこびりついた「あたりまえ」を壊すのって痛いんだよなぁ…

今回の記事はこちらの記事を読んで書いてみました。
揃っていなくていいこと、練習に時間を使わないこと。

多くの人の目線がイヤとか大きな音が怖いみたいな理由で出られない長女はこの運動会でも難しそうだけど、人の言う通りに動くのが嫌だけど踊りは好き、みたいな次女はこの運動会だったら出そうだと思う。


「見栄えを良くするための時間をなくす」ってめっちゃ大事すぎるよね…

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