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人に耳をひらいてもらうこと

昨日次女と夫が喧嘩していた。

まぁ、喧嘩とはちょっと違うけど。


散らかった部屋を片付けて、と夫。

無視する次女。

数回同じやり取り。


苛立つ夫。

少しずつ声が大きくなり、言う言葉も

「片付けないなら、もう◯◯させないよ」などの処罰つきになってくる。


それはヤダ!!と大声で反抗を始める次女。

キイィーー!と奇声をあげはじめる。

その奇声に負けないように大きな声で
「じゃあ片付けなさい、何度も言っているでしょ!」

声に力がこもる夫。

声が恐い!と大声で泣き、片付けどころではない次女。

「何度言っても言うこときかないから声が大きくなるんだよ!」

夫の声をかき消したくて更に大声で奇声をあげる次女。

見かねて介入。

**

次女に「怖いのはわかった。でも、お父さんは、片付けなさいっていっても片付けてくれないから怒っているんだよ」

「それはわかる?」と静かに言う。


でも恐いもん!と泣き続ける次女。

「最初は優しく言ってたと思うけど、言っても言っても動いてくれないから段々怖くなっちゃったんだよ。

次女はすぐ大きな声出して、人の話を聞かないようにするよね。

でも、人はね。
大きな声で言われると大抵は嫌な気持ちになる。

だって次女はお父さんに大きな声で言われるの嫌でしょ?

やりたいと思わないでしょ?

お父さんもだよ?
次女が大声で泣き叫んだらよけいにイライラするでしょ。

お互いを見てたらわかるよね?

大きな声を出してもどうにもならないどころか、返って相手は言うことを聞かないってこと」


ここまでわたしは、怒鳴るような音量で話していない。
むしろ声のトーンを落として、低い声で静かに話している。


「かたづけをしないことに、理由はある?

面倒だから片付けない、は、良くない。
でも、片付けない理由があるならそれを言ってくれるかな。

その理由が、なるほど!と思えるものだったら、もしかしたら片付けなくていいって思うかもしれない。

やるにも、やらないにも、ちゃんと理由を言えるようになってほしい。

なんで、そうするのか。

なんで、しないのか。


ちゃんと説明出来るなら、怒られる事は減る」


次女が「先生もおなじこと言ってた」という。

先生…いつもお疲れ様です!


「片付けてねって言った時すぐにお片付けできたら、お父さんは怒らないはずだよ。」

改めて理由を聞く。

「なんでお片付けしないか、理由はある?」


「・・・どこに片付けたらいいかわからない」


今回は、大きな段ボールに絵を描いたものが部屋の真ん中に鎮座していた。

確かに片付ける場所はない。


「なるほど。じゃあ、片付ける場所を作りましょう。

工作はどれも大事かもしれないけど…
全部取っておくと部屋の中がいっぱいになっちゃうから、前に作ったもので要らないものは捨てていこうか」

段ボールをゴテゴテ飾り付けた工作が沢山積まれた山を切り崩す。


「新しい工作をここに片付けたいから、これは捨てよう。
そしたらこの場所に置ける。」

ふたりで、古い工作を分別しながらゴミ箱に捨てる。
次女は気が散ってたから実質私一人でやっていたけども。


出来たスペースに、新しい段ボールを収める。


「ほら、片付け出来たでしょ」


「片付け方がわからないときは、わからないって言って」


大きな声を出さなくても、部屋は片付く。


私は大きな声が怖くて、大きな声を出される前にやることをやる子どもだった。


怖くて動く行動の動機は、単純に怒られたくないからということだけだ。


でも私は
「片付いた空間が気持ちいい」とか
「散らかってると踏んだりして困る人がいるから」

そんな理由で片付けたくなるような声掛けをしたい。


だって、恐怖に追われて過ごすのは、日常が怖くなるからだ。


だから私はいつも理由を問う。

どうして、これをしたかった?

どうして、これをしないの?


さほど理由もなくやっていないときは、口ごもりながら気まずそうに動いてくれたりするものだ。


力づくで、というやり方は好きじゃない。
本人の気持ちを大切にしたい。


これは、家であったことをスマホでメモしておいたものをそのままスマホに打ち込んでいたものをnoteに貼ってみたものです。
スマホのメモ帳から貼ったら改行とかの広さが大きくていつもと違う感じになっちゃった。


***

そして偶然にも今日、Voicyフェスでこんな対談を聴いた。
面白い対談がたくさんあるなぁ。


後輩を育てるとき最初にすることは

「この相手は自分を否定しない存在だ」と思ってもらうこと。
それは肯定するってことではない。

否定をしない、と、肯定する、は違う。

もし違うと思うことがあっても

「それは違うんじゃない?」ではなく
「それはいいね!」でもなく

「そっか、そう思うんだ」と言う。

むやみに褒めることは、逆効果のこともあるから褒めまくるのも違う。

また、何か答えを伝えるんじゃなく、相手の中から答えが出てくるように質問を重ねて対話することも大切だと話をしていた。

すごくよくわかるなぁ。
私もこれは心がけている。

夫は「◯◯しちゃ駄目」「それはやめて」とか否定や禁止から入ることが結構あって、端から聴いていてもあまり気持ちが良くない。

「あれはやめて、これは駄目、ばかり言われると人は耳を閉じる。

耳を閉じられてしまったら、どんな話も聴いてもらえなくなるんです。

まずは相手にいつでも耳を開いてもらうことが大前提です。
だからこそ、否定はしない」

対談の中でそんな話をしていたが、実際、子どもたちは夫の言うことを聞かないことが多い。

夫が言っても動かなかった子どもたちに、私が同じことを言ったとき子どもが動くことはよくあった。

それは、きっと子どもたちが夫の声に耳を閉じていて、私の声に耳を開いているからではないかと思う。

でも私から
「夫はダメとかやめてとかばっかり言うから言う事聞きたくなくなるんだと思うよ」

と言うと

「すぐ君はそうやって俺のやり方を否定する!」

と耳を閉じてしまう。

そうか。

私が否定したから夫も耳を閉じているってことか。

否定したつもりがなくても、本人が否定されたと感じたらそっちが真実だ。
言葉選びって難しいね。

質問でことばを導き出すといいのかな。


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