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言葉にできないのでタイトル無しで。

ふと、仕事中、どうしてこのことばと広告さんのコミュニティがこんなにも居心地がいいのだろうか、
前にいたコミュニティと何が違うのだろう、と深く考えたくなり、ここに書きました。

そして思うまま書き殴ってみた。推敲なし。

私がこのコミュニティに入ろうと思ったきっかけの記事。

その一個前は、

このKumikoさんの記事。

私このことばと広告さんのXの記事にすごく共感というか、切実な思いを感じで、胸がきゅってなりました。

私も、そうなんです。書いてきたから、生きてこれたっていうか。もう私の中で書くことを失くすなんて考えられなくて、書かないとだめで。
わたし自分と約束したんです。毎日書いていこうって。それがわたしの生存戦略というか。
わたしがこの世界で立っている為に、必要というか。
私にとって書くことはそんな簡単なことじゃなくて。
道を切り開いていくための手段であり、友達であり、味方であり、俯瞰してる自分だったり、自分と向き合うための時間だったり、私が私を見失わないようにするための大切なもので、

あぁなんか泣けてきた涙出てきた。
上手く言葉にできなくて。でも大事なんですよ。
書くことをやめたくない。書かなくなったら私がその時感じたことを忘れちゃう。いやだ。
わたしはとことん向き合いたい。自分の味方でいたい誰よりも。自分のために書いてるんだ。
誰かに認めてほしいっていう気持ちもあるけど、
わたしは私を救いたくて、幸せになってほしくて書いてる。
だって今まで。

何かをずっと諦めていて、あーどうせ私は何者にもなれないんだ中途半端でしか生きられないんだって、勝手に諦めて。自分のこと、自信が持てないから、何もないなぁって思ってたから、だけど、私が私でいたことを、それ、いいですねって。言ってくれた人がいて。考えすぎてしまうところは、いけないことなんだろうか、気にしすぎ、考えすぎだって。いけないことなの?でも、いいですねって。言ってくれた人がいたんだ。その時ふんわりとじんわりと胸が温かくなって。覚えてる。嬉しかった。まるで小学校の時先生に読書感想文をみんなの前で褒めてもらった時のこと思い出して。何だろうあの時の感覚。私という存在を認めてもらえた、ちゃんと、見てもらえた感覚。肯定してくれたような。あのあたたかな羽毛のような。
初めてちゃんと内面を触れてくれたような。

あぁそっか。って。
認めて欲しかったんだって。私はここにいるよって。ただ、ただ受け止めて欲しかったんだって。
私を見て欲しかったんだって。褒めてほしかったんだなって。
核心に触れられたような。

ただ

それだけでよかった。
たいそうな事は求めてなんかないんだ。
きっとみんな同じなんじゃないだろうか。

うまく言葉にできない。

でも、なんか、ここには核心をついてるコミュニティなんじゃないかなって思って。

これからも書くことを楽しみたいし、
やめたくない。

しがみつきたいいつまでも。
これだけは手放せない。

そうやって私はずっとずっと細い細い最後の一本の糸を切れないようにピンと張らせていく作業をこれからもやっていくんだと思う。
それが生きることだから。

もう君なしでは生きていけないのだ。
よろしく頼むよ相棒。


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