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サードアイ ep 9 過去との遭遇

 ステファンに案内されたところは、先ほど通ってきた廊下の色と同じ赤紫色のドーム状の部屋だった。座り心地のよさそうなソファーや椅子が何台かあり、そこに向かって赤い絨毯が敷かれている。絨毯の上を歩いているのにしっかりと足音がする。やけに音響のいい部屋だった。

「あちらに座ってください」

 ステファンに示されたのは奥にある革張りの一人掛け用の椅子だった。座ってみると、身体がちょうどいい具合にすっぽりと包みこまれて、車のシートのようなホールド感がある。

「右側のひじ掛けの横にレバーがあるので引き上げてください」

 言われた通りにすると、椅子が静かに傾いて寝ころんだ姿勢になった。

「よろしいですか。では、呼吸をゆっくりと、細く、長く、吐ききってくだい。もう一度、吸って」

 深呼吸をしているうちに、この椅子の心地よさからか、すぅーと意識が遠のいていく。

「オーエンの居たところをイメージしてください。思い出すだけでいいです」

 気が付くと、俺は故郷に帰ってきていた。たかだか数日間いなかっただけなのに、もう何年も不在にしていたみたいだ。知っているはずの場所なのに、はじめて来たかのように鮮明に見えた。
 しばらく歩いていると、何だか違和感を感じた。ここは確かに俺の住んでいた町だが、全体的に雰囲気が古めかしい。どうやら俺は、過去の町に戻って来たようだ。
 俺の家はあるのかと、体で覚えている道順を足早にたどる。すると、確かに平屋の実家が見えてきた。近づいて戸を開けようとするが、触れられない。そうか、ステファンが言ってたやつだ。
 窓が開いていた。そこから中を覗き込む。すると、写真で見覚えのある、うんと若い頃の母ちゃんが、赤ん坊を抱っこしている姿が見えた。その姿をぼんやりと眺めていると、不意に赤ん坊と目が合った。俺のことが見えているかのように、こっちをじっと見ていやがる。母親が赤ん坊の抱く位置を変えた。赤ん坊はむずがった。

「あれまあ、また泣き出しちまったよ。どうしたもんかね。さっき、おしめも替えたばかりなのに」

 すると、俺の婆ちゃんとおぼしき人が、

「まあ、最初の子は手がかからぁ。あんまり気張らんと。どれ、かしてごらん」

 というと、ひょいっと赤子を受け取ってあやしだした。よし、よし、よし、よし、と言って赤子の背を叩きながら、右に左に小刻みに揺れている。愛おしそうに赤子を見つめている婆ちゃんの横顔が見える。次第に赤子も機嫌がよくなっていった。
 なんだか不思議な光景だった。俺は、自分があまり抱きかかえてもらってこなかったと思い込んでいたが、もしかすると、弟が年子で生まれてきちまったもんで、俺を抱く暇がなかったのかもしれない。それまでは、母ちゃんや婆ちゃんに、こうして抱き上げてもらってたんだな。俺は出だしのところから思い違いをして、無駄にひねくれていたようだ。まったく、笑っちまうぜ。
 後ろで物音がした。男が玄関を開けて中に入ろうとしている。俺は人の多い改札を一緒に通り抜けるかのように、その男の後ろにぴたりと張りついて中に入った。

「ただいま」

「あら、おかえりなさい。今日は早かったのね」

「ああ、ちょっくら仕事が早く上がったもんで。どれどれ、元気にしとったか」

そういうと、男は嬉しそうに赤ん坊を抱き上げた。あれは、もしかすると俺の父親かもしれない。俺が3歳の時、家を出ていったという。写真も見たことがなかったから、父親の顔を見るのは初めてだった。俺にあまり似ていなかったが、どことなく弟に似ていた。

「おっ、今、笑ったぞ。ほんと、可愛いなあ。俺にそっくりだ」

と、いかつい顔を崩して嬉しそうにしている。

「おつまみ、こんなんでいい?ビールは冷蔵庫に冷えてるわよ」

 今度は、母ちゃんが赤子を抱っこした。よし、よし、よし、よしと、優しくあやす。赤子は気持ちよさげに抱かれている。婆ちゃんが台所で夕飯の準備をしだした。トントントントンとリズミカルに野菜を切る。その横のテーブルでは父親がラジオを聴きながら晩酌を始めている。赤子は母に抱かれて眠ってしまったようだ。いつの間にか部屋には西日がさしこんでいた。
 気が付くと俺は泣いていた。それは何だかよくわからない涙だった。心の芯の堅い部分がほぐれていく感じがして、ここを離れがたい気分になっていた。時間が溶けていくような心地のよい感覚に、いつまでもこうして眺めていたいと思った。でも、長居しすぎると、また取り込まれてしまうのかもと思った瞬間に、さっきのソファーに包まれている自分に戻っていた。

「おかえりなさい。気分はいかがですか?」

 ステファンが心配そうな顔をして覗き込んでいる。

「ああ、大丈夫だ。夢を見ていたような感じだ。でも、やけにリアルで、不思議な体験だった」

「そうですか。それなら良かったです。では、もう一度スイッチを押してください」

 椅子の位置がゆっくり戻った。ようやく現実に戻ってきた感じがした。

「今回のは、意識のみを飛ばして、その様子を第三者として観察するだけのものでした。それが、実際に魂を送る本格的なトリップになると、自分の魂の組成に近い人物、いわば、もう一人の自分の中に直接入り込めて、もっとリアルに、自分のルーツを体感できるのです」

「ああ、それがお前がやっていたっていう、クリーニングってやつか。そうか。そんな中、途中で引き返す羽目になっちまって、ほんと、すまなかったな」

 ステファンは驚いた様子で、慌てて手を振り、

「いえいえ、確かに残念でしたが、それよりも、あなたに出会えたから。そっちのほうがずっと良かったのです、はい」

と、照れくさそうに頭をかいていた。



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