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サードアイ ep10 心の魔物

 オーエンの演習用の体験ツアーが終わったあと、一緒にテラス席で食事をしながら、ボクは、この間の旅で見てきた自分の過去世についての話をした。
「ボクが七歳になる年に、父が何かの宗教にはまってしまって。あまり知られていない宗派で、戒律が厳しくて、父はそれを家族に強要するようになったんです。以前の父とは別人になってしまって、つべこべ言わずに言うことを聞けと、急にボクと姉に厳しくなって。ボクは怯えると同時に、何でこんなことをしなきゃいけないんだって腹がたって、父に反発しました。結局、力で押さえつけられましたが」
 クリーニングの途中で引き上げてきてから、誰かにこの話をするのは初めてだった。
「学校でも、その宗教のことが知れ渡って、友達も急によそよそしくなって、一人ぼっちになりました。いじめっこには暴力もふるわれて。完全に居場所を失って」
 話しているうちに、あのときの孤独感がまた押し寄せてきた。
「ボクはその世界をじっと見ていました。大人たちの暴挙を、友人たちの裏切りを、見下されて蹴とばされる理不尽を、ボクのガラスの目を通して眺めていました。あいつらは、拒めば拒むほど増長してきた。きっと、ボクの目のガラス玉が彼らの醜い姿を映していたのでしょう。大人からは何だその目はと怒鳴られて、学校では気味が悪いと嫌がられて」
 ボクは息苦しくなってきて、紅茶を一口すすった。
「もうこれ以上、何も見たくない。もう何も感じたくないって、長い間、五感を閉ざして生きていました。どれくらいの間、息をしていなかったのか、気がつくと、自死に失敗してすっ転んで、マネキンのように足を投げ出して放心していました。これが、ボクがクリーニングの旅の前半で見た光景です」
 オーエンはその話を聞き終わると、静かに一言つぶやいた。
「そうか。おめえもそんなツラしてっけど、いろいろと苦労してんだな」
「ひどいなぁ、そんなツラって。まぁ、そのあとは、反抗してみたところで苦しくなるばかりだから、逆に振り切って、彼らの言うことを全部受け入れたんです。そしたら、何だかうまく回り始めて、結果、今ではこっちの世界でも楽しくやれてます」
「じゃあ、なんでまたわざわざ、時空を超えてまでクリーニングにいったっていうんだ?」
「それはですね、言うことをきいたといっても九割がたで、残りの一割は、まだ反抗心が残っていて。なんだか、得体のしれない魔物が心に巣くっていて、それが何なのか知りたくて、何とかしなくてはいけないって、旅に出たのです」
「魔物?なんだ、それ」
「うまく言えないんですが、そうだなあ、心の奥底に青く鈍い情念が眠っていて、それが何かの瞬間に火がついて暴れ出すんです。特に、上の人たちが、自分の保身のためだけに動いて、既存勢力にあぐらをかいてる姿なんかを見ると、吐き気がして、滅茶苦茶に彼らをなぎ倒したくなる衝動に駆られます」
「おっと、おめえ、けっこうパンクだなぁ」
「からかわないでくださいよ。ボクはこれ、心の病気なんじゃないかって思ってるんですから。明らかに間違っているって思うことを、うやむやにして収めることができない。理不尽だと感じると、上司であろうと何であろうと食ってかかってしまう。オーエンが言うように、見た目と行動がそぐわないから、時々、みんなに心配かけちゃうんです」
「まぁ、オレんときも、いきなり傷口に指を突っ込んできたしな」
「だから、あれは仕方がなくですね。でも、すみませんでした。けっこうリハビリに時間がかかりましたものね。意識のないまま無理やり時空を超えて連れてきちゃったから」
「いや、あのままだと、やばかったんだろ?ありがとよ。で、何かあっちでヒントになるようなことは見つかったのか?」
「いや、それがあの時点では、まだ何もつかめていなくって。規則正しく生活して、一生懸命に勉強もして、がんばっていたようなんですけど」
「なるほどな。殴り合いの喧嘩とかは、してたのか?」
「いえいえ、そんなことは一度も。言いがかりやちょっかいを受けたりしても、やられっぱなしで、自ら応戦することはなかったです」
 それだな!と短く言うと、オーエンはテーブルを脇に寄せはじめた。そして、いきなり、相撲を取ると言う。ボクはこの展開についていけなくて、あたふたとしていたら、はっけよーい、のこった!といって、オーエンが突進してきた。言うまでもなく、ボクは軽々と突き飛ばされてしまった。
「急に何するんですか!」というボクの抗議もむなしく、またもやドスンと突き飛ばされる。
 それから、何度も何度も、突き飛ばされては転んでの繰り返しで、さすがに腕や足がところどころ擦り剝けてきた。唇を切ったのか、血の味もした。
「ほれ、もう一丁!」といって、オーエンは楽しそうに僕に向かってくる。いい加減、腹が立ってきて、力をこめて押し返そうとするが、それでも力の差で、またもや押し倒されてしまった。
「もう、いい加減にしてください!」
そう叫びながら、ボクのほうからオーエンに突進していった。ドスンと彼の胸にぶつかる。そのまま組み合う。オーエンがひょいとボクを持ち上げて軽々と放り投げる。地面に肩をぶつけた。
 何なんだ、これは。この状況に終わりが見えず、泣きたい気持ちになった。
「おいおい、もう終わりか?おめえの得体の知れねぇ魔物ってのは、そんなもんか?」
 むちゃくちゃに腹がたった。生臭い血の味と鼻をつく汗にむせながらも、懸命にぶつかっていく。もっとだ、ほら、どうした、という声が聞こえる。「うるさい、この野郎!」と大声を出しながら、ボクは何度も何度も向かっていった。
 一瞬、オーエンの身体が揺らいだと思ったら、ボクは彼の身体ごと倒れこみ、馬乗りになっていた。悔しくて、悔しくて、彼の肩と胸を、力いっぱい何度も殴った。
 オーエンは目を丸くして笑いながら、「まいった、まいった。やるじゃねえか、このやろう」と言って、ボクの肩をつかんで持ち上げ、そのまま立たせた。
 騒ぎを聞きつけてか、大勢がカフェテリアに押し寄せてきていたようだ。その中にヒノエの顔もあった。みんな心配そうに成り行きを見ている。ボクは何だか急におかしくなってきて大きな声で笑った。それを見てオーエンも笑った。
 いい汗だった。スポーツの後や風呂上がりとも違う、心の底からの爽快感だった。
 ヒノエが駆け足でやってきて、オーエンの胸ぐらをつかんだかと思うと、そのまま綺麗に投げ飛ばした。そして、極上の笑みを浮かべながら、
「はい、二人とも、お疲れ様。さっさとテーブルを片付けてちょうだい」と、終了を告げた。
 一人、また一人と、物見の輪から抜けていく。ボクとオーエンは、先生にしかられた生徒のように悪びれながら、乱れたテーブルを直していった。 
 オーエンがぼそりと話し出す。  
「オレのよ、弟が、しょっちゅう訳もなく暴れてよ。よく止めに行ったもんだぜ。オレより切れやすいって、どうなってんだって思ってたけど、まぁ、あいつん中にも、何かが巣食ってたのかもな」
「そうだったんですね。でも、なんか、弟さんがうらやましいです。いい兄貴がいて」
「まあな。あいつはちょっと問題があったから、絶対にオレが守ってやらねぇとって、思ってたからな。あいつ、今頃、ちゃんとやれてるんだろうか」
 そういって、オーエンは細い目をして遠くを見つめた。



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