見出し画像

サードアイ ep 13 予知夢

 わたくしは生まれもって我欲が少ないほうだと思う。愛し愛されるという安住の生活に普通に憧れもしたけれど、一人の時間に慣れ親しむにつれ、それはそれ、これはこれという、割り切りにも似た諦めに、安らぎさえ覚えるようで。
 例えばそれは、幸福感ということを考えるとき、自分と他人との境目がぼんやりとしていて、時折、自分が利することよりも、他人が喜ぶことのほうに幸せを感じられもして、うっかりすると、そのささやかな幸せさえも手放してしまいそうになる。
 そしてそれは、いわゆる意志薄弱などではなく、ましてや、どうでもいいという冷めたものでもなく、たとえていうならば、舞台上で次々と役者が現れては入れ替わっていく演劇を観ているようで、目の前で繰り広げられるドラマの展開に一喜一憂して心を持っていかれながら、どうか良き幕切れをと願うのに似ている。
 そして、それが叶うのなら、自分が多少の不利益を被っても構わない。否、そもそも最初から、自分なんてものはないのかもしれない。
 それはいわば、自分も演者として舞台上にいながらも、物語が進んでいく様を、その全貌を、紗幕から眺めている感覚に近しい。確かに自分はその場にいて、笑ったり、うなずいたり、言葉を発したりしてはいるものの、それらは自分の意志でなされるというより、その場の空気に合わせて自動的に調整される反射にすぎないのだから。
 思えば、幼いころから、夢か現か幻か、定かではない時間を過ごしてきた。眠っているときに見るリアルは、確かに色味も速度も、起きているときのそれとは異なり、整合性も時系列もない。でも、これを単に、脳が今日の出来事を整理しているとされる「夢」と同じだとしてしまうには、あまりにも現実味を帯びており、意味を持ってしまっている。
 実際、最近見る夢は、ほとんど予言じみていて、数日後なのか数か月後なのかは定かではないが、必ずと言っていいほど、それが現実と化すことになるのだった。
 数日前にもリアルな夢を見た。それは、炸裂する強烈な光と、凄まじい勢いのつむじ風が激しくぶつかり、宇宙空間が震えるような衝撃が起きる中、空から太陽に似た光の渦がゆっくりと降りてきて、そこから男性と女性が手を取って現れるといった夢だ。
 夢から覚めると、横たわったまま、この夢の意味を心に聴いた。
 半分放心しながら、しかし、全神経を研ぎ澄ませて、心の奥深くまでゆっくりと沈んでいく。そして、そこに落ちている言葉を掬い上げて、再び無意識の中をゆっくりと浮上していく。意識がようやくはっきりしたころには、その言葉たちの大半は零れ落ちてしまっているが、そこに残ったわずかな言葉をすかさずノートに留める。
 今回、書かれた文字は「世界平和の鐘を共に鳴らすとき」であった。

 その夢を見てから数日後、ヒノエが男性を連れてやってきた。なにやら、身元不明で、星の所属もとれないらしい。だが、わたくしはこの人とは、数か月前から夢で幾度か会っていた。そして、目が覚めると決まって謎の高熱にうなされた。なので、正直なところ実際に会うのは抵抗があったのだが、ヒノエの頼みとあらば断わるわけにはいかなかった。
 ヒノエは相変わらずの眩しさを放ち、威勢のいい声で挨拶をした。わたくしは極力、光にあてられないように注意しながら、軽く微笑んだ。
 後から部屋に入ってきた男性はというと、夢で見たときよりは幾分か品格があがって物腰が柔らかくなっていた。しかし、言葉遣いはたどたどしく、うっかりすると乱暴なふうになっていった。そのたびにヒノエはウワンっと光を強めて注意するので、こちらまで倒れそうになる。
 ひととおり挨拶を終えると、ヒノエは本題に入った。
「ところで、最近、予知夢を見た?」
 わたくしは、男性の前で伝えてもいいのかと一瞬、躊躇したが、ヒノエはそれを察知して、目で大丈夫だと告げた。
 わたくしは、数日前に見た、光と風のぶつかり合う夢のストーリーを克明にスケッチブックに描写していった。それを最後まで見終えると、ヒノエは深くため息をついた。
「ありがとう、クロエ。その男女の顔は覚えてる?」
わたくしは、左右に首を振り、残念だという意味を伝えた。
「そう。クロエ、この身元不明のオーエンは、何か鍵となるものを持っているのかしら」
 オーエンがわたくしの目をじっとみつめる。夢で見た男と重なって、居心地の悪さを感じる。

 夢の中の男は、優しくわたくしの髪に触れ、頬をなで、喉元に手を這わせた。それから、少しずつ指の力を込めていき、静かに首を締め上げていった。わたくしは小鳥のように手足をばたつかせながら彼の手から逃れようとするも、まったく抵抗できずに、涙を流しながらそのまま気を失ってしまう。
 夢から覚めて、しばらくは身体の痛みに身動きがとれずにいた。それでも何とか無意識に向かって言葉を拾いに行くも、うまく見つけられなかった。 
 そのような夢体験が何度か起こったが、これが何を意味するのか未だに分からずにいるのだった。
 わたくしは、この夢をヒノエに伝えるべきかどうか迷ったが、あまりにも個人的な夢でもあるし、言葉を集められなかったことにも負い目を感じていて、伝えるのが憚られた。
 オーエンが何か鍵になるものを持っているか。わたくしの直感ではイエスだが、確証もなく、ただ首を横に振る。
 ヒノエはしばらく何かを考えている様子だったが、オーエンに向き直ってきっぱりと言った。
「あなたはまだその領域に達していないようね。予定変更だわ」
そういうと、わたくしに挨拶をして颯爽と出て行ってしまった。
 わたくしは男性と二人きりとなった。一瞬、目が合う。わたくしの心臓が波打つ。
「えっと、どうもお邪魔しました。あっ、それと、喉の具合はどうだろうか」と尋ねてきた。わたくしは脂汗が出るのを感じながら、精一杯の笑顔を作って軽くうなづいた。
 彼はそのまま去っていくかと思いきや、こちらにぐいっと近づいた。そして、「失礼」と言うと、おもむろにわたくしの髪をかき分け、喉を前後に挟むようにして首に手を当ててきた。わたくしは凍り付き、その場で固まってしまった。
 そのまましばらく男は動かない。手からは波動のような熱が伝わってくる。時が止まり、空間が歪み、わたくしの目が、鼻が、口が、ずるずると溶けだして、男の手の中で混然一体となっていくような危うい感覚に陥る。次第に意識が遠のいていく。
 ヒノエの呼ぶ声がした。呪文が解けたように、男とわたくしとの交わりは解かれた。男は一礼すると、さっと背を向けて出ていった。

 その夜はなかなか寝付けれなかった。まんじりともしない時間をベッドの上で過ごす。あれは一体何だったのだろう。あの人はわたくしに何をしようとしたのか。
 何に触れても心が動かず、誰といても安らぐことがない。長い日々をそんなふうに過ごしてきた。しかし、その虚無を打ち砕くかのように、あの人は夢にも現実にも現れて、しっかりとわたくしを捉えていった。今もなお、この首筋に、あの人の手の感触が残っている。彼の汗ばんだ手の温もりと生々しい指の動きを、今そこにそれがあるかのように鮮明に感じ取ることができるのだった。

 うつらうつらと夢を見た。
 目の前に広々とした草原が広がり、黄色い花が咲き乱れる。
 わたくしは誰かと手を繋いで野原を駆けている。疲れて二人して草むらの上に寝転がった。大地のベッドはフカフカと柔らかくてお日様の匂いがした。
 ふと見ると、隣の子の鼻の頭にモンシロチョウが止まった。可笑しくて笑ったら、その子は照れくさそうに微笑んだ。わたくしも蝶々の留まるようにそっと、その子の瞼に触れてみる。ピクピクと小刻みに震える様が愛おしくて、そこにそっと口づけをした。その子も私のうなじに触れる。その手からは生温かいものが感じられた。人の掌って、こんなに温かいものだっけ。わたくしたちは見つめあって、お互いの瞳の中にお互いがいるのを確認して、また笑った。
 そのまま二人は陽だまりの中、草原の緑と花畑の黄色が陽の光に溶け込む世界に混じりあっていった。

 目が覚めると明け方だった。夢の余韻に浸りながら、まだ残る、ありありとした温もりを感じとっていた。
 これは、意味を探しに自分の深いところに潜って行くべきなのか。いや、そもそも夢に意味などないのかもしれない。
 そんなことを思いながら、喉の渇きを潤そうと、水差しを手に取る。ひと口飲もうとして、うっかりとこぼした。反射的に、あっと言った。耳にした自分の声に驚く。恐る恐る、歌ってみる。
 わたくしの声は元に戻っていた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?