あいうえお

趣味は食べることと寝ること。諸事情あって仕事を辞めたアラフォー母です。 半年ほど専業主…

あいうえお

趣味は食べることと寝ること。諸事情あって仕事を辞めたアラフォー母です。 半年ほど専業主婦をしていましたが、再びフルタイム正社員で働くことになりました。

最近の記事

アラフォー転職どうだった?(2ヶ月目の記録)

毎日バタバタと過ごしているうちに2ヶ月が経過。 覚えているうちにアラフォー転職してどうだった?の記録を書いてみる。 会社にはもう慣れた? これはイエス。完全にフリーデスクな職場なので、初日は座る場所から迷ったし、ゴミの捨て方すら分からないことに絶望したものの、周囲の人にどんどん聞いたおかげで今は快適に過ごせている。わからない事があったら「転職したての人」と認識されているうちに聞いたほうがいい。時間が経てば経つほど、ちょっとした疑問は聞きづらくなるから。 仕事にはもう慣れ

    • 昨晩突然発熱し、検査したもののコロナもインフルエンザも陰性。先生には先月罹患したコロナの後遺症かもと言われたんだけど、ずっと元気だったのにそんなことあるの…。個人的には再就職のプレッシャーかなと思っている。ご自愛しよう。

      • 40代ワーママ転職活動ふりかえり

        気がついたら再就職先が決定し、激しいアップダウンの中で過ごしていた専業主婦生活もあとわずか。転職活動を始めた頃は仕事を再開すること自体に迷いがあったため「ゆるふわ転職活動」と位置付けて活動をしていた。 転職する上での条件 キャリアとスキルを活かして貢献し、成長できること 自分が使いたいサービスの運営企業であること 週3以上リモートワーク可 残業20時間以内 年収ダウンは許容(ただし、入社して上げる余地がある事が前提) 転職活動の戦歴 約3ヶ月間に渡る転職活動の

        • 働く母から専業主婦になるということ②

          専業主婦に偏見を持っているつもりはなく、むしろ憧れていた。 大学時代は「就職せずに卒業したらすぐ家庭に入りたい」と本気で思っていたし、「将来の夢は専業主婦」と平気で口にするタイプだった。 仕事とは違って替えが効かない妻そして母という仕事に最大限コミットし、幸せな人生を送りたい。子どもを産んでからその傾向はさらに高まり、事あるごとに「専業主婦になりたい」と夢想していた。 なのに実際に専業主婦となった途端、どうにも心細い。行動範囲も社交もぐっと狭まり、人と話す機会が極端に減っ

        アラフォー転職どうだった?(2ヶ月目の記録)

        • 昨晩突然発熱し、検査したもののコロナもインフルエンザも陰性。先生には先月罹患したコロナの後遺症かもと言われたんだけど、ずっと元気だったのにそんなことあるの…。個人的には再就職のプレッシャーかなと思っている。ご自愛しよう。

        • 40代ワーママ転職活動ふりかえり

        • 働く母から専業主婦になるということ②

          働く母から専業主婦になるということ①

          フルタイム兼業主婦から専業主婦になって数ヶ月。ゆるふわ転職活動も終わりが見えてきたので、これまでの気持ちを今後のために記しておこうと思う。 働く母から専業主婦へとなったあの日。私が専業主婦になったのは会社の方針転換がきっかけだった。今後について不安がないわけではなかったけど、方針をコロコロ変える会社や迷走を続ける上層部にはいい加減うんざりしていたし、元々ある程度子どもが成長したら専業主婦になろうと考えていたので、辞める事が決まった時は嬉しさ半分・悲しさ半分という気持ち。これ

          働く母から専業主婦になるということ①

          妻の仕事と夫の“サポート“?

          数社へのエントリー、そして一次二次と面接をサクサクこなし、しかし最終面接を乗り越えることができず、ついに手駒がなくなった。 死ぬほど落ち込んだ私を見かねた夫は優しい言葉をかけてくれたのだけど、なんだか他人事みたいなコメントばかりで腹が立って喧嘩になった。 コロナ禍の影響で、私はここ数年フルフレックス&リモート自由自在!という夢のような環境で仕事をしてきた。そのため私と夫はお互いの業務状況を共有して残業を譲り合う、といったことを一切せずに仕事をしてきた。 今回の転職を通し

          妻の仕事と夫の“サポート“?

          アラフォー母の一次面接

          ついに終わった一次面接。 就活はご縁なのでどうなるかは分からないけど、いい感じに終えられたのでまずは自分を褒めたい気持ち。頑張ったね。 今回の面接に向けて、まず準備したのはジャケット。 なにしろ私は自由な職場(夏になると半袖×短パン×ビーサン、というメンズが社内を闊歩していたレベル)に勤めていたので、ジャケットどころか襟付きのシャツすら持っていない。母業のために用意したツイードのセットアップはあるが、まさかそんな格好で面接の場に出向くわけにはいかぬ。 そこで私は、ルミネの1

          アラフォー母の一次面接

          ポジティブは意志の力

          どヨヨヨよん、と落ち込むことが多い毎日で、胃痛がデフォルトみたいになってきたので「よし、この辺で切り替えよう!」と決めた。だから落ち込むのは昨日までで終わり。 コントロールできないことで悩み続けるのは良くない。今回のことについて言うと、私が関わっていた分野は明らかに伸びていたし、みんな本当に良く働いていた。全ての責任は失策を繰り返した上層部にある。 自分がコツコツ積み上げてきたキャリアと能力を客観的に見て、自分のことをちゃんと信じること。ポジティブでいよう、という意志を持

          ポジティブは意志の力

          ただの「私」に何ができる

          取り急ぎ専業主婦になった私だが、結婚しているからそんな呼称がくっつくだけで、要するに無職だ。 望んで専業主婦になるのはいい。家庭を心地よく整えて、美味しいご飯を作り、家族が機嫌よく、健康的に過ごせるように気を配る。専業主婦は本当に素敵な仕事だと思う。 だが私は晴天の霹靂(会社の状態は晴天とは程遠かったけど。嵐の落雷?)的状況で専業主婦に収まっただけで、こんな展開を望んでいたわけじゃなかった。 仕事は嫌いじゃない。だけど少し特殊な業種なので、間口は狭い。 大切な時間を捧げ

          ただの「私」に何ができる

          さよならは私から言いたかった

          ある日突然、会社から退職勧奨を言い渡された。 薄々そうなるかもという予感はずっとあった。業績は悪化の一途を辿っていたし、少し前には早期退職募集が短期間に3回も出ていた。 職場の同僚とはずっと「そろそろやばいよね」「転職エージェンシーに登録しないと」みたいな話をしていたし、混乱した上層部が方針をころころと変えて失策を繰り返す状況に正直辟易していて、そろそろ転職するかなと考えているところだった。そしてその最中、私は退職勧奨の対象者になった。

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          300

          さよならは私から言いたかった