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過去と未来を考える(2020年代をどう捉えるか)

さて、2020年代がやってきました。

これまであまり過去について考えたことはなかったんですが、2000年のミレニアムイヤーに社会人としてのスタートを切った私にとっては、仕事を初めてはや20年目。会社員として過ごした2000年代、仲間と一緒に起業して会社経営に携わりった2010年代。振り返ってみるとほぼ10年で自分の生き方を変えてきたんだなあと改めて気づきます。

歴史や文化の変遷を語るときに、「70年代は***な時代だった」とか「80年代はこうだった...」というような言い方をよくしますが、自分自身の生き方の変遷と世の中の移り変わりの間にも、偶然・必然の影響や関係性があるように思えて、2020年代を迎えたこのタイミングで、自分の経験や目を通じた、「これまで」と「これから」について考えてみたいと思います。

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト

最近年柄か、会社だったり、学校の同窓会だったりと色々な集団のあり方について色々と考えることが多いのですが、昔、現代社会で習った「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」という概念を使って捉えると色々と理解しやすくなると感じています。

(以下抜粋)

ゲマインシャフトは共同体組織と呼ばれ、それに属する人ひとりひとりのために存在しています。家族のような血縁関係もこのゲマインシャフトに属しています。ほかにも身近なところで学校の部活、教会などの宗教団体、スポーツや文化活動サークルなど、主に満足感・安心感を得られることを目的としています。
ゲゼルシャフトとは、機能体組織です。つまり組織自体に目的があり、所属する人たちがその目的のために動くことになります。企業のように、会社の利益のために一致団結して動くさまなどまさにこれにあたります。

今回の考察の中でも、このふたつの概念を用いながら考えを進めてみようと思います。

機能体としての強さを求めた2000年代

バブル経済崩壊による足元の危機と、社会・経済システム自体の老朽化への対応という国家の課題に対し、ミレニアムという時代の変わり目への期待感も含め打ち出されたのが小泉政権が掲げた、「聖域なき構造改革」というスローガンでした。

小泉内閣の構造改革解説(平成15年3月発行)
日本経済は、世界的規模での社会経済変動の中、単なる景気循環ではなく、複合的な構造要因による停滞に直面しています。不良債権や財政赤字など「負の遺産」を抱え、戦後経験したことのないデフレ状態が継続し、経済活動と国民生活に大きな影響を与えています。
大胆な構造改革を進め、21世紀にふさわしい仕組みを作ることによってこそ、こうした状況を抜け出し、日本の再生と発展が可能となります。我が国の経済・社会に残る非効率な部分を取り除き、技術革新や新事業への積極的な挑戦を生む基盤を築く。そして国民が安んじて将来を設計できる環境を整備する。これら多方面にわたる課題に一つ一つ着実に取り組んでいます。改革なくして成長なし、との路線を推進してまいります

こんな社会風潮の中で社会人としての最初の価値観を育んだ私にとって、この考え方はすごく馴染みがよいというか、心のどこかで当たり前のものとして感じられます。

自己責任の名の下に、

我が国の経済・社会に残る非効率な部分を取り除き、技術革新や新事業への積極的な挑戦を生む基盤を築く

これこそが日本を再び立て直す道である。

日本経済を立て直す(=その先に日本の幸福がある)という目的のために、古き悪しき、弱き部分を切り取りながら、チャレンジし、革新していくことができる強き個人や組織の活躍と成功によって、日本(とその国民)が再び輝く、という考え方です。

この頃、大前研一さんの「チャイナ・インパクト」に代表されるように、日本が今変わらないと大変なことになるぞ!という論調も一斉を風靡しました。

小泉政権の政策やこの時代に対する専門的な批評や評価は様々にあると思うのですが、冒頭に触れた「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」という概念に基づいてごく大雑把に考えてみると、2000年代の日本社会の潮流は、共同体(ゲマインシャフト)的なものに含まれがちな我が国の経済・社会に残る非効率な部分を解体しながら、機能体(ゲゼルシャフト)としての社会とその枠組みを組み直し、強化していくということだったのでないかと思います。

2002年のアメリカ同時多発テロや2008年のリーマンショックによる世界同時不況、今大きな社会問題の種を孕む非正規雇用の問題などを経て、こういう社会の矛盾や問題にどことなく勘づきながら2010年代を迎えていくわけですが、20~30代前半で血気盛んだったということもあって、自己責任や挑戦というものに対する絶対的な肯定感みたいなものが、自分自身の中に養われ、今尚残っているのかなあと思っています。

そして、そういう意識感が、その後自分たちで会社を立ち上げていくという行動につながっていったというのも、ある種自然な流れだったんだなあと改めて感じられます。

共同体的志向への回帰が起きた2010年代

2000年代の社会矛盾について少し触れましたが、私たちが会社を設立した2010年という段階で、今、そしてこれから起こる社会矛盾や問題を踏まえて新しい社会のあり方や企業としてのあり方を模索する、というソーシャルな考え方や物の見方、というのはすでにひとつの潮流となっていたとかと思います。

リーマンショック崩壊、その後の自民党から民主党への政権交代などが社会認識を変えていった大きな契機だったのかなと思いますが、私たちが「アーツアンドクラフツ」という名前を社名にし、あえて東京23区から少し離れた吉祥寺という郊外の街で起業したのも、多分にそういう時代の風に当てられた部分と、2000年代を通じてテーゼとして機能体社会への意識が培われたのと同時に、その価値観だけだと人間的にやってけないよねー、共同体的な社会も必要だよねというアンチの価値観を強く感じていたことの現れだったんだろうな、と改めて思います。

そんな空気感で幕を開けた2010年代でしたが、そこに折しも2011年の東日本大震災が重なりました。

この未曾有の大災害が決定打となって、2010年代の日本は2000年代とは真逆に、人と人との繋がりや絆、連帯的なものが求められる社会風潮が一気に強まっていきました。

古き良き日本の文化を礼賛する流れや、日本は素晴らしい国、日本人は素晴らしい国民というような風潮の言論やメディアの論調も勢いを増してきました。

そのようなかたちで振り返ると2010年代というのは、00年代に「我が国の経済・社会に残る非効率な部分」として否定された中から、ゲマインシャフト(共同体)的な価値観が再び復権を果たそうとし、尊重された10年だったのではないかと言えると思います。

00年代からあったSNSですが、利用するサービスの違いなどで世代間で分断しながらも、10代から60、70代まで幅広く社会に浸透し、自分の周辺のコミュニティ(共同体)との連帯を緩やかにキープし続けることに貢献しています。

20年間、日本社会が目指してきたもの

このように2000年からこの20年の日本を10年ごとに振り返ると、このような区分けができるのではないかと思います。

2000年代:ゲゼルシャフト(機能体)の時代
2010年代:ゲマインシャフト(共同体)の時代

10年というスパンで、性質の異なる2つの社会方向性を追ったように思えるのですが、実はその手前の考え方として、どちらの時代にも共通する大命題のようなものがあった気がしています。

それは、

輝ける日本を再び!

というスローガンです。輝ける80年代を経て90年代初頭にバブルが崩壊したうえで、21世紀という新たな時代を迎えた日本の社会・経済が、意識するとしないとに寄らずどこかで追い求めていた大命題だったのではないでしょうか。

これに関しては私たちの世代感覚というより、この20年間をリードしてきた現在の60代以上の方々の価値認識だと思っています。つまり日本のよかった時代を知る人たちが、40代〜50代〜60代という油の乗り切った時間を費やし日本を運転したのがこの20年間なのではないかという見方です。

今でも時折目にする「日本の失われた20年(とか30年)」という論調は、大抵年配の有識者やそこにフォーカスしたメディアによるものだと思います。

これらの世代や、その論調が正しい、悪いといったところを言いたいということでなく、2000年代の日本の意思決定権を持っていた中心層がこの世代であり、そしてここから先、徐々に世代交代が進んでいく。つまり、社会観の中心軸が時代とともに移行していく、ということがここで述べておきたいことです。


現在の一歩のための未来

このような20年間を経て、2020年代はどういう時代になるのでしょうか。

そんなことを考えながら、ジョン=アーリという人が書いた〈未来像〉の未来: 未来の予測と創造の社会学という本を読んでいるのですが、

この中でとても素晴らしいなと思う考え方があったので紹介します。

今進行中のことや、今のうちにできることについて問い、ひもとき、考案するために未来を活かすことにある。

未来というのは当然ながらまだ確定していません。また彼がこの本の中でも述べているのですが、かつては特定の為政者や権威者しか描くことができなった未来というのものが、時代とともに誰もが描くことのできる、もしくはそこに参画できるもの<未来の民主化>になっているという状況を、私たちはより肯定的かつ有意義に活かしていくべきではないかと思います。


私自身すでに43才なのでこの10年は会社や周囲の社会、コミュニティにおいても、何かを担っていくうえでこれまで以上に軸となる、もしかしたら最初で最後の10年になるかもなあと感じています。

一番確からしい予測の一つである人口推計をみれば2030年代以降には本格的な人口減少と高齢化社会を迎えることが予想されます。そこに対して本気で備えていく10年が、世の中にとって、そして自分自身にとっても大事にあ2020年代なんだろうと思います。

ゲマインシャフト(共同体)とゲゼルシャフト(機能体)という区分を使うならば、それぞれを特性を踏またハイブリットな新しい社会、組織のあり方が求められる。
そのために、
*自分たちの強みを見極め、磨くこと
*組織、個人として基本的な生産性を高めること
が、まず最初の一歩として大事なのかなと考えています。

客観的、論理的に判断し行動していく

日本の良き時代を肌感として知らない我々の世代は、日本の良いとこはよい、弱いところは弱い、ということを冷静に分析判断して行動に繋げられるのではないかなと思います。

さらに下の世代を見ても、世の中のことや仕組みについてフラットに見て、判断できるそういう人材が増えていると思いますし、自分自身も含めて、適切に情報に触れ取捨選択しながら、必要な判断を下していける、そういう人材を育成していきたいとも考えています。

世代を問わずに同じ問題意識を持つ人たちと連携しながら、そういう社会構造を実現していかないといけないのだろう、そんな思いを胸にこれからの10年を見つめております。

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