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今こそ応援されるべきは「ファン=あなた」である〜コロナ禍でスポーツの灯火が消えた時代に思うこと

 スポーツのない異常事態が、すっかり日常化して久しい。

 それがいつから始まったのか、もはや思い出せない人もいるかもしれない。とはいえ、このまま「当たり前」になってしまうことを、私は何よりも恐れている。思えばこの1カ月半、本当にさまざまな出来事があり、何もかもが激変してしまった。まずは事の次第について、あらためて、この機会に振り返ってみることにしたい。

 私にとっての「発端」は、今年の2月25日。つい2日前に開幕節を終えたJ1・J2リーグが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて「延期されるかもしれない」という情報は、この日の昼前には同業者の間で広まっていた。午後に行われた会見で、Jリーグの村井満チェアマンは、すべての公式戦を3週間にわたって延期することを発表。国内のあらゆるプロスポーツ団体に先駆けての決定であった。

 Jリーグが予定外の中断期間を強いられるのは、9年前の東日本大震災以来のこと。この時点ではJリーグの関係者、そしてメディアやファンも「3週間後には再び試合が見られる」と楽観していた。そして週末には、延期となった試合をTwitter上で仮想体験する「エアJリーグ」なるものがトレンドに。転んでもただでは起きない、Jリーグファンの逞しい創意工夫には、私自身も大いに勇気づけられたものだ。

 潮目が変わったのは、Jリーグ再開予定日の6日前に当たる3月12日。この日の朝、WHOが新型コロナについて「パンデミック状態にある」と宣言した。ヨーロッパでは、サッカー関係者の間で新型コロナの感染報告が続出。そしてアメリカではNBAが中断を決定し、カナダではフィギュア世界選手権が中止に追い込まれた。世界中でスポーツの灯火が消えてゆく中、Jリーグもこの日に2度目となる延期を発表している。

 そんな暗澹とした空気の中、開幕を4カ月後に控えていていた東京五輪をめぐる一連のセレモニーだけは、粛々と行われていた。同じく12日の夜、NHKニュースは東京五輪の聖火リレーのための採火の様子を、古代オリンピア遺跡からライブで伝えている。「もはやスポーツどころではない」という空気の中、それでもIOCは「予定どおり開催する方向を目指す」ことを強調。しかし24日には、急転直下での延期が決定した。

 かくして、国内外のあらゆるスポーツイベントが延期や中止を余儀なくされ、五輪イヤーへの期待感や高揚感も予想外の形で収束した。そして東京五輪の延期決定直後から、首都圏を中心に新型コロナの感染者の数が急増。旅行やイベントの参加が禁じられ、外出や外食の自粛が当たり前になるにつれて、スポーツ観戦はすっかり庶民から遠い存在となってゆく。Twitterでの「エアJリーグ」も、当初の盛り上がりはすっかり消え失せてしまった。

 以上が、この1カ月半に起こった出来事である。この間にJリーグは、さらに2度の再開延期発表を行い、現時点ではスケジュールは「白紙」の状態。再開は早くても6月上旬と見られ、最初に延期が発表された2月25日から実に100日後となる。おりしも『100日後に死ぬワニ』というマンガが話題になったが、試合がないまま仕事を失ったわれわれは、さしずめ「100日後に死ぬライター」となるリスクを抱えているわけだ。

 プロスポーツの世界は、多種多様なステークホルダーによって成り立っている。Jリーグの場合、まずリーグとクラブと選手。そして、自治体、スポンサー、地域住民。伝える側も、ライター、フォトグラファー、中継スタッフ、アナウンサー、解説者、ピッチレポーターと職種はさまざまだ。ピッチ外に目を移せば、スタジアムDJ、チアリーディング、警備員、飲食やグッズや印刷物の業者もいる。試合がなくなったことで、ステークホルダーの多くが、収入の道を絶たれて苦しんでいるのが実情だ。

 スポーツに関係するあらゆる人々が、未曾有の事態の中で試されている。そんな中、最も応援が必要なのは、実は「ファン」や「サポーター」と呼ばれる人たちなのではないか──。最近、そんなことをよく考える。その競技が大好きな「あなた」こそが、まずは救われるべきなのだ。なぜか? それはスポーツを生業としている人々と違って、事態終息後もスタジアムやアリーナに戻って来なくなる可能性があるからだ。

 これまでの人生で、何度か「歴史の変わり目」に立ち会ってきた。2011年の東日本大震災しかり、2001年の同時多発テロしかり、そして1991年の湾岸戦争とバブル崩壊またしかり。およそ10年周期で歴史的な大事件が起こるたびに、目の前の風景やわれわれの価値観は変わっていった。それでも、どんなときにも、常にスポーツは存在した。

 記憶に新しいところでは、9年前の大震災からわずか18日後には、日本代表とJリーグ選抜チームによるチャリティーマッチが行われた。その年の7月には、なでしこJAPANがワールドカップで優勝し、国民に大きな勇気を与えた。しかし今回のコロナ禍のように、スポーツそのものが地球規模で失われたのは、歴史上初めてのことである。

 新型コロナの感染拡大は、いつかは終息を迎えるだろう。だが「コロナ以後」の世界が、元通りの状態となっている保障はない。娯楽としてのスポーツのあり方も、まったく違ったものとなっている可能性さえあり得る。ニューヨーク在住の友人で、スポーツビジネスのオーソリティーである中村武彦さんとZOOMで対談した際、彼は「コロナ以後」のスポーツ界についてこんな私見を述べている。

「たとえばスタジアムではなく、デジタル空間で応援するスタイルが主流になるとか。ウイルスを完全にシャットアウトできる施設を作って、ホーム&アウェイのない集中開催にするとか。あるいは特別な予防接種を受けた人だけが観戦できるような、セレブにだけ許されたスポーツになるとか。いずれにしても、スポーツの概念そのものが変わってしまう可能性はゼロではないと思います」

 われわれがスポーツを取り戻したとして、あるいは完全なる原状回復とはならないかもしれない。リーグもクラブも経営的に逼迫しているだろうし、選手たちもトップコンディションから程遠いだろう。フリーランスの同業者の中には、この間に廃業している人もいるかもしれない。けれども、それ以上に気になるのが「スポーツを愛する人々がどれだけ生き残っているか」である。

 公共交通機関を使って人々が集まり、密集状態の中で大声援を送り、得点が決まったら見知らぬ者同士でハイタッチ。観戦後は仲間たちといつもの店で乾杯し、口角泡を飛ばしながら試合談義に花を咲かせる。これらの行為は今、いずれも許されざるものとなっている。そうした規制に慣れきってしまい、やがてはスポーツ観戦の喜びそのものが忘れ去られてしまうのではないか。そのことを私は、何よりも危惧している。

 コロナ禍により、スポーツの灯火が消えた世界が常態化しつつある。これが3カ月、4カ月と続けば、スポーツのあった日々を忘却する人々が続出するかもしれない。その数がオーバーシュートを迎えた時こそが、本当の意味での「スポーツの死」である。ゆえに今、最も声援を必要としているのは、スポーツを愛するファン、すなわち「あなた」なのだ。そして、スポーツの世界における表現者として、私は力の限り「あなた」を応援するコンテンツを発信し続けようと思う。

 そのためにも、しぶとく生き残ることにしよう。「100日後に死ぬライター」に、なるわけにはいかない。

<この稿、了>

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この文章は、ASICSスポーツ応援プロジェクトがnoteで開催する「#応援したいスポーツ」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。
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写真家・ノンフィクションライター。ワールドカップから地域リーグまで、国内外のフットボールを幅広く取材。新著に『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。宇都宮徹壱ウェブマガジン主催。https://www.targma.jp/tetsumaga/