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「すずめの戸締り」が僕に刺さりすぎた理由を考察する①

導入;「すずめの戸締まり」について

2022年11月11日公開の映画「すずめの戸締まり」は皆さんご覧になられただろうか。「君の名は。」、「天気の子」を手掛けた新海誠監督最新作であり、日本はもちろん、多くの国で人気を博した作品であることはニュースなどで取り上げられていたように記憶している。(さすがにファンとしてのバイアス抜きで考えても)

以下大体敬称略

(2022年11月11日、TOHOシネマズ二条にて)

そんな「すずめの戸締まり」(以下「すずめ」)は、あまりにも僕に刺さりすぎた。よくあるファンの全肯定現象のように思われるかもしれないが、少なくとも僕の中に大きな意味を持った作品であるように感じたので、今回はその話をしていきたいと思う。
また僕は「すずめ」を25回以上見に行き、友達から「よく飽きないね」的なことをよく言われていた。それは実に真っ当であると思うし、実際僕自身もそのような経験をしたのは初めてのことであったので、うまく返すことができなかった。この記事では、それに対するアンサーになればいいなという希望を込めて書いていきたいと思う。

映画を見た方も見ていない方も、今回は物語のネタバレを含まない記事であるので安心してみてほしい。もっとも、いままだ見ていない人の中に公開は終了している半年以上前の映画のネタバレを気にする人はいないと思うが。

「すずめ」はいくつかの軸を持った作品であり、その中の1つに震災文学としての側面を持つことは、公開されている企画書やインタビューなどでも多く語られている。

『~「すずめの戸締まり」企画書前文より~ (中略) この物語には三つの柱がある。1つは、2011年の震災で母を亡くしたヒロイン・スズメの成長物語(中略)』(新海誠、2022、「新海誠本」、4頁)

震災、特に2011年3月11日発生した東日本大震災にスポットを向けた作品である。なぜ新海誠は東日本大震災を直接的に描いたのか。


新海誠と東日本大震災

東日本大震災当時のことを新海誠は次のように語っている。

「震災のとき、自分は被害の当事者ではなかった。アニメを作っているいち制作者なんだというのが、なぜがとても後ろめたく感じました。後ろめたいのだったら、例えば、何かボランティアのようなこととか、いろいろな関わり方があると思うのですが、自分にとって一番うまくできることがエンタメだなと思ったのです。」(岩田宗太郎. "映画「すずめの戸締まり」 新海誠監督が東日本大震災を描いたわけは". サイカル. 2022.12.16 https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2022/12/column/1216/ ,(2023.6.16閲覧) )

引用したインタビューにすべて書かれているが、新海誠は直接の被災者ではなく、震災は当時は東京で「星を追う子ども」(2011年5月7日公開)の制作に取り掛かっていたときに発生した。

インタビューでも語られている後ろめたさというものに対して、僕のごく個人的な、些細な経験から共感するものがあった。

僕と東日本大震災

東日本大震災が発生したのは、僕にとっては小学2年生の頃であったと記憶している。当時、僕はたまたま風邪を引いていて学校を休んでいて、家には誰にもいなかったのでリビングでダラダラとテレビをみていた。ここからは僕が語るまでもないことであるので省くが、当時の自分にとってその映像は今まで見たものよりもずっと恐ろしいものであった。記憶には脚色が挟まってしまうことが多いが、おそらくそのときに感じた恐ろしさと、自分が窓の外を見てみたときの残酷なほどの「日常さ」は、今でも鮮明に思い出す。映像の中のカタストロフィと自分の生活空間の断絶と無力感は忘れることができない。


刺さりすぎた理由

もうここまで書いてきた中でわかった人も多くいるだろうが、私に刺さった理由は、やはりこの「うしろめたさ」を共有しているところが大きいのだと思う。新海誠は自分が本当にエンタメ映画を作っていていいのかということについて深く悩んだと語る。僕自身は、当時は幼く、またそれ以前の思考の浅さからっこの「うしろめたさ」を言語化して認識したことはなかったが、この部分に大きく共感できる部分が、映画を通して感じたのであると感じる。自分以外多くの人が、大なり小なり「うしろめたさ」を共有していたからこそ、こうした大きな反響に繋がったのだと思う。

これ以降はインタビューを見たあとに感じた後付の好きなところであるが、新海誠の「エンタメ」ならではの伝え方、ドキュメンタリーではない方法で、伝承するというやり方。これこそが日本の小さな子供や海外の人にも3.11という日本のある年代以上の人にとって強い意味を持つ出来事が伝わったのだと思う。このような「エンタメ」の力を持つ新海誠に私は惹かれたということができる。


何度も話しているように、私は「すずめ」以前から新海誠監督作品の大ファンであり、きっと多くのバイアスを持って彼の作品を見てしまっているのかもしれない。けれど、ここで書いたようなことは、多分、少なくとも僕にとっては意味を持つものであると考えている。







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