お金とは何か?―空気もしくは水に喩えた寓話

 お金とは何か?

 結論から言うと、今、わたしたちが暮らす社会では、空気のようなものだと思う。
 ふだんは、まさかそんなもので自分の全存在が支えられているとは夢にも思っていないが、不足してくると、とたんに気分がわるくなる。
 もっと減ってくると、なんだか、お金以外のことは、考えることもできなくなる。それまで悩んでいたり楽しんでいたりした諸々のものはひとつひとつ脱落してゆく。
 ここまでお金不足になるのは、今の日本では、ちょっと難しいかもしれないから、人にはわかりにくい苦しみとなっている。暗い顔をしてふさいでいると、「お金に縛られるな」みたいなことを、人から親切心で言われて、ぶちぎれるのもこの段階だ。
 もちろん、きれると言っても、もう体力も気力も無いので、大声など出さない。黙ってうつむいて、「同情するなら、金をくれっ」と心の中で叫ぶ。

 

 日本の国は、お金という空気に満たされている。
 それを吸って、わたしたちは生きている。
 お金無しでは、生きていけない。

 この喩えをもっとわかりやすくするために、わたしたちが魚、それも琉金だと考えてみよう。丸い胴体に尾や鰭が不自然に大きく発達して、ゆらゆらとしか泳げない、あの金魚だ。
 琉金は、川でも池でも、少しでも強い流れの起きる、自然な環境では自分の進みたいほうに行けないので、早晩、死んでしまう。もちろん、外敵が来たら全滅である。
 浅い生け簀で繁殖されて、物心ついた頃には、すでに売りにだされており、いつのまにか金魚鉢で暮らしている。

 金魚鉢は、もちろん、水に満たされている。
 鉢に満たされている水、これが、わたしたち日本・人間琉金にとってのお金である。

 

 わたしが皮肉な寓話として用いる日本・人間琉金の世界では、
働いて水を増やせば、より大きな水槽に移り住めるという設定である。

 与えられている金魚鉢で満足すれば、あくせく働く必要はあるまいという意見もあるだろうが、丸い、観賞用の金魚鉢で暮らしていると、だんだん心が病んで来る。観賞用の丸く小さな金魚鉢に金魚を入れることは欧米ではすでに虐待とされている。
 たしかに、丸い鉢に囲まれていれば何を見ても丸く歪んで見える。心も歪んでくるだろう。そして、狭すぎて、水も少なすぎるから、もちろん、身体にもたいへんよくない。

 だから、日本・人間琉金は、働けるようになったら、ただちに、労働によって水を貯めて貯めて、あるいは投資によって水を膨張させて膨張させて、先ずは金魚鉢を出て四角い水槽に移り、その後は、ひたすら、より大きく、より快適な四角い水槽へ移っていこうとする。
 
 水槽のサイズは、いろいろある。

30cm
45cm
60cm
90cm
120cm

 日本・人間琉金の一生は、より大きな水槽に移ることに費やされる。
 なぜかというと、より大きな水槽へ水槽へと移っていくうちに、いつか、最大の120cmの水槽で暮らする日がくると信じているからだ。

 水槽内の水の体積とは、資産額のことだ。それを示すと、水槽のサイズは、次のような社会階層と重ねることができる。

30cm     マス層(3000万円未満)
45cm     アッパーマス層(3000万円以上5000万円未満)
60cm     準富裕層(5000万円以上1億円未満)
90cm     富裕層(1億円以上5億円未満)
120cm   超富裕層(5億円以上)
                ( )内の数字は、純金融資産額

 最大の水槽に移ることによって、水槽で暮らしていることを忘れることができるそうだ。自分は、自然の河や池で自由に生きていると思えるらしい。
 そういう話を聞いているので、日本・人間琉金のほとんどが、毎日毎日、水を増やし続けているのだ。

 実のところ、地道に水を増やし続けても、99.9%の日本・人間琉金は、生きているうちに超富裕層の水槽に移ることができないことがわかってきている。
 だから、「こうすれば、年収〇〇〇万円」などといった、水を一挙に膨張させるためのヒントが商材となっている。そうした情報の提供者は、こうしてnoteを書いていても、よくスキを入れてくれる。

 

 



 


 
 

 

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