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他人が苦手

他人が何を考えているのか、どんなことを目指してどんなふうに生きているのか、それを「読書」によって知ることが好きです。

それがどんな人であろうと、本を通じて知ると、なぜか「学んでいる」と感じます。自分ならどうするかな?と、マイペースで読み進めます。

でも、「直接誰かの考えを聞かされる」のは、あまり好きではありません。お酒を飲みながら語りあうのは、他人の考え方や生きざまを知る手段のひとつ何でしょうけれど、ついつい避けてしまいます。

本を読んでいるときなら、考えに更けりたくなれば読むのを止めて考えればいいのですが、目の前に相手がいるとそうもいきません。質問したり自分の意見を述べたくなったりします。

反論したくても一方通行で聞かされるしかなく反論できなかったり、反論しても論破されたりすると、学ぶどころかストレスを溜めるだけになりかねません。

情報共有や意見交換は良くても、口論をしたいと思っているわけではありません。相手の意見を否定しようとは思っていないのですが、自分の意見を否定されると、やはり腹が立ちます。

そしてもう一つ理由があることに気づきました。私はきっと、リアクションが苦手なんだということです。

直接対話の際に、何らかの反応を返さなければならないことに疲れてしまうのです。私は人一倍、私に対する周りの反応が気になります。

だから他人への反応も気になってしまって、上手く返せません。打ち解けたつもりになると、いつの間にか相手への敬意を失って無礼なことを言い、後で申し訳なさに押し潰されそうになることもしょっちゅうあります。

私はどうしても、面白くない話を面白いと言えません。格好悪いものを格好いいと言えません。可愛くないのに可愛いと言えません。逆にすごいなと思えば、素直にすごいですねと言えずに、悔しくて横を向いてしまいます。

だからすごいですねとか、前向きな話を、私に向けてされても、本当にそんなこと思っているの?って思ってしまいます。

私は、そんな自分の小さな器を知っていますから、一人でいたいんです。しょせん、傷つきたくないわけです。衝突が嫌で、負けるのはもっと嫌です。逃げているなあと、自覚しています。

だからこんな主張を書き綴って、私のことを分かって!って伝えようとしています。情けないなあって思います。同年代の人が読むならまだしも、ずっとずっと若い人が読むと、大人でもこんなこと思うのかと、失望させるかもしれません。

そして恥ずかしいです。自分の心のうちをさらけ出して、自分の弱味を見せて。

でも、もしかしたらこんな奴もいるんだなあ。俺も同じような気持ちのとき、あるよ!って思ってくださる方がいれば、もしかしたらほっとされるかも知れないなあと思うのです。

作家になるってそういうことかなと。心の中に無いものは出せません。心の中にあるものを吐き出すしかありません。

こんな呟きが、あなたの心になにかしらの刺激を届け、緊張をほぐせたらいいなあ。

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