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きょうはっきょう
父親との関係がぐちゃぐちゃ。会話なんてほとんどした記憶がない。
人生で遊んでもらった経験はそんなにない。けれど、少ない思い出の分、それが嬉しくってよく覚えている。
少量の塩味は涙の味なのか海の味なのか、チープな思い出をかき集めると結晶となる。
ある日を境にほとんど会話をしなくなって、そして今に至って、急に父親らしいことを言うわけで、僕の人生を心配したセリフを言うのだ。
このきわぎわまで差し迫ってから言われたものだし、そしてすでに親子関係は破綻したものだったと、自分は思っていたわけで、どうしようもなく自分の認識がズレていたってことがわかった。
おじいちゃんの葬式の時、父の友人が「お前ら親子がする会話じゃないぞ」と疑惑の目を掛けたのは慧眼だった。
父を経験している人間が、父のように振る舞えることは至ってシンプルなこと。
しかし、お前が心配することじゃねぇよ、とも思った。焦りの方があったけれど。
まぁ家庭環境なんて人それぞれ。亀裂どころか溝がある家庭だってある。円満すぎるほどに仲のいい家族だって存在する。
僕ら家族は謝らない。心からの会話をしない。
会話をしようとする頃には手遅れなのさ。
冷め切った関係をもう一度温め直そうにも、あまりにも遅すぎた。
それでも親という意識は存在したことに衝撃だったし、この僕の自暴自棄さ咎めることをしたことにちょっとした感動があったのも事実だ。
終わりよければ全て良し、とはよく言ったものだ。勝手な希望的観測で測っている節はあるが。
まぁ、死ぬってほどのことをするわけでもないし、これからの予感が楽しみなのだ。楽しみに振り切った自暴自棄。そんな人生でもいいだろ?
夜空に浮かぶキラキラとしたものを宇宙人だって騒いだりしてみたいものだ。そしたら本当に攫われて、月で餅をつく仕事でもしてさ。どうだ! 立派に僕はやってるだろう! と自慢でもしてやろうじゃないか。
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画像は飛行機の歴史だったかな? そんな本を読んだ時に撮った写真です。多分ライト兄弟の写真。どっちがどっちだったか忘れた。本当の兄弟だったかどうかの真偽も忘れた。多分違う。着陸に失敗したのをみて、駆け寄るもう片方の図だ。
飛行のパイオニアをライト兄弟だと答える人は多いことだろう。しかし、僕からしてみれば、オットー・リリエンタールこそパイオニアだと思ったね。いや、誰でもいいんだけれどね。口出しできる関係性なんて皆無なんだし。
まぁ私見を聞いてほしいよ、曖昧な記憶から出す私見だがね。
リリエンタールの飛行は錯誤によって進化した。鳥の羽ばたきで空を舞うのではなく、固定された翼で滑空を行った。その飛行形態の翼に歴史あり。多数の翼で複葉機というよりもはや木だろ! とツッコミを入れたくなるような機体。最近見た動画でつまようじで作った塔で耐震性を測るような実験を行っているのと同等な複雑さを孕んでいる。耐震という安定感と現在空を待っているスマートな機体。安定感には緻密な計算がある。そして泥臭い実験回数を重ねなければいけない。こんにちに流通する機体をそのパイオニアが見たら美しさに圧倒されるのではないだろうか。無駄というものがない。強いていうなら人間だけだ、と言いたくなっちゃうかも。なんてね。
美しさの極致は複雑さを取り上げた不安定な幼稚さ。耐震度を測る無邪気な学生。優勝景品は最新ゲーム機。
子供なんだ、誰もが。
もっと語りたいのだが、本編よりも長くなりそうという懸念で無理やり押し込めて申し訳ない。広げた風呂敷はぐちゃぐちゃにして直すね。ばーい。
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