寳涌山本福寺(柳澤乙)
【本山宗派】
真言宗高野西南院
【御本尊・寺宝】
大日如来
【由緒略歴】
古絵図に描かれていることから江戸中期にはあったことが判るが、霊場札所ではないためその他の由緒略歴は殆ど判らなかった。
半鐘 文化12年(1815)とある。
「ニッポンの霊場」の淡路西国三十三箇所観音霊場の25番 岩神寺の備考欄に、本福寺の管理 とあるが、その辺りは聞き逃したので判らない。
見たところ住職されているようだったので、古い情報なのかも知れない。
大坂淀川に別院があるようです。
詳しくは民家deお寺「大坂淀川別院」をご覧ください。
【意匠・彫刻その他】
大日堂(本堂?)
蟇股は力強い龍
木鼻は象
寺務所?
懸魚は鳳凰
お堂の横に石碑があり「辨財天堂寄附 堺市〇〇〇〇(人名伏せ字)奉迎大祭供物大鏡餅二石」とある。
「辨財天奉迎し~ 而して昭和27年12月6日奉迎に際し~ 因て茲に表彰する 昭和28年1月7日」と見える。
”廻り辨財天”の資料で確認すると、昭和26年に奉迎したとある。因みに昭和27年は安乎宮野原蓮華寺で、昭和28年は志筑八幡寺である。
火灯窓(花頭窓)
古瓦(鬼瓦と軒瓦)
江戸中期の古絵図と現在でも同じなのは大日堂と渡り廊下(火灯窓のところ)。古絵図では渡り廊下は更に1間長く寺務所へと続く。寺務所(金堂)が改築され広くなったのであろう。現在正門は寺務所の正面(南東)となっているが、かつては道路側(東)の角にあり、道路側は境内縦方向(北西~南東方向)いっぱいに僧房(4棟)があった。
道路拡張や土地分配で境内はかつてより狭くなっているようである。
大日堂の裏手に荒神が描かれているが、今回はそこまで調査できなかった。尚、寺院西南の段々畑のほうは「坊ノ谷」という。
【法事・行事】
毎月15日 大日講
7月 夏祭り
その他、地元ミュージシャンによるミニライブ等も行われているようです。
【編集後記】
圓満寺でも記したように許可を戴いた寺院から順に記事にしていますが、当本福寺様が許可を戴いた最初の寺院になります。
仕事で柳澤を訪れた際に立ち寄ったところ、「お寺巡りですか?東浦の方とお間違いではないですか?」とお声掛け戴きました。
確かに同名の佛照山別格本山本福寺は、安藤忠雄設計の水御堂が有名ですが、小生は近代建築には余り興味がないので「間違っておりません。近くまで来たもので写真を撮ったり調査したりさせて欲しいのですが」とブログにもする許可をお願いしたところ、御快諾戴きました。
然し乍ら、寺院巡りの記事としては何院目になっているのか分かりません。
というのも、この本福寺様の情報(ネット)は殆ど見当たらないからです。上記のご住職のブログ 民家deお寺「大阪淀川別院」で行事等は掲載されていますが、寺院自体についての詳細はありません。
となると、古文書・古絵図を調べるしかありませんので、時間がかかるものと思われます。
最初に許可戴いた御縁もあるのでなるべく早く記事にしたいところ。
最後までお読み戴きありがとうございます。 調査・活動のためのサポートを何卒お願い申し上げます。