膨大な情報の海に埋もれる日々から抜け出す

カンボジアに移住してきて5年。大きな変化の一つに、TVをはじめとしたマスメディアから離れたこと。


カンボジアにもTV局やケーブルTVも多々あるので、見ようと思えば見れる。だが、自分が選んでいるようで、実は見せられている(何故か離れられない)この膨大な垂れ流しの情報に、いい機会なので離れてみようと思い、TVを見ない生活をスタート。

結果は、選んでいるようで選んでいないSNSの情報に翻弄されている。この、見たいわけではないのに、他人の近況やシェアしている何気ない情報、広告など、とりとめもなく見てしまうのは、なぜなのだろうか…

もちろん、繋がり上及びシステム上のアルゴリズムで見たいものが流されているので、全部ではないにしろ興味をそそられるのはわかる。おそらく天下のGoogleさんをググれば、なにがしかの回答をアップしている専門家の論に出会えるのかもしれない。

だが、そこら辺を全て無視して、自分の気持ちをのぞいてみるのが大事かと。そこの解としては、まぁ、気になるのだ。私がSNSでつながっている人の9割は今まで何かの大きな、濃厚な接点があった人たちばかり。こんな世界でどう、生きてるのか、どう他人に見られたいと思い投稿しているのか、気になるのだ。

なにを、このnoteという場で、たいした回答でもないことをつらつらと書いているのかというと、これも、書く事。全ての事象は自分の中から発生している。SNSにしろ、ウェブにしろ、このnoteにしろ、媒体の違いはあれど、書くことに繋がる、活字の羅列。

どう書くか?
どう読むか?
この活字のどこに、自分が潜んでいるのか?

今までとは違う思考と習慣、そしてアウトプットを楽しみつつ、ひたすら書くことに向き合う。

散漫な短文になってしまったが、校正せずにその時の気分のまま、書き連ねた今回の文章。結局何が言いたいのか、というよりは、つらつら書くということに徹してみただけでした、お粗末様です。

次は、仕事について書いてみようと思う。

(20分)


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