環境保護の欺瞞と落とし穴

さて…COP26にしろ何にしろで、ホレ生活の電気化だの自然エネだの石油石炭プラスチックco2削減だの何だの、と、更にソレに対して意識高い系が賞賛したり文句言う(例えばガソリン車廃止に対して主要国が参加せずと言った内容とかに対して)たり何だり、と言うアレですけども、ね…。

例えば、マイクロプラが如何のこうの、とか有るやないですか…。

で、プラ製品減らそうだ何だ、とやっとりますけども…果たして、今、問題と成っとる“マイクロプラ”って、果たしてホンマに生命体に悪影響を与えてるのか?と言う部分も実は良く解って無い上に、ソレよりも、もっと疑問なのが、“今、問題と成ってるマイクロプラの原因と言うか大元って、今、生産されてるプラスチックが直接の原因なん?”と言う部分すかね…。

因みにですが、プラスチックと言う物質(何処までをプラスチックと断定するべきなのか?と言う根本的な問題も在るんですが、ね…。樹脂全体をプラスチックとするのか、石油系だけなのか否か、等々も含めて)が人間の手で開発され、作られ始めたのが1835年、との事ですが…ソレを考えると、所謂、エコ(省エネだの530だの何だのの概念も含めるならば)だ何だと騒がれ始めたのが1960〜80年中期辺り…其の時点でも100年越えとるんですよ…。

で、特にゴミの海洋投棄云々が問題視されて何ちゃら、と言うのが90年代辺りから、かな?そう言うのでプラゴミだの何だのの海洋投棄を止めよう、みてェな事をやり始め(ま…ソレでも途上国だの何だのと言った国々は海洋投棄を延々と普通に続けてたりしてた訳でも在るんですが)プラの原材料にしても、石油系からバイオ系に、そして出来得る限り燃やしたり、成分に自然分解出来る・自然に帰れる様な素材を〜みてェに改良を重ね続けて今に至る訳ですけども、そう言う事を鑑みても、今、問題と成っとるマイクロプラの大元、ってさ、1980年代とかまでの、世界中の国々が大量に海洋投棄して来たモン(ソレは沈没した船舶やら、墜落した航空機やら何やら等々も含めて)が、今、マイクロプラとして其の分の量、大量に出て来てる、と言うだけの話では?と、ね…。

そう考えると、今、何故か世界中で“プラを減らそう”だの何だのと言うてますけども、ソレをやった処で意味が無い、と、オイラは考えるんですよ。

だって、100年以上作られ続けて来たプラの総数と、今現在、作られてる(バイオ系だの何だのの改良系)プラの総数、何方が多いですか?ってェ話だし、昔のバイオもクソもの概念すら微塵も無かったプラと、今のバイオやら何やらで改良されて来た自然に回帰するプラ、何方が分解されないのか、若しくは何れだけ自然に帰らないのか?と考えたら一目瞭然でしょうに、と…。

今、必死に成ってプラを削減しても遅いんすわ、何せ、もう既に嫌と言う程に皆さん、海洋投棄して来たんだもの…後の祭りたァ其の事ですよ、と…。

んで、ですわ…ソレを鑑みた時、まァ…マイクロプラとやらが見つかって問題視されたのはホンマに、つい最近の話なんですけども…先程も言いましたよね?抑のプラスチックの歴史は100年以上在る、って…。

もう既に、今まで見つからなかった、誰も知らなかっただけで、我々も、そして自然に生きる生物も、結構、昔っからマイクロプラを嫌と言う程に体内外に入れちゃあ出しちゃあをやってるん違いますのん?と言う話ですわ、今まで全く気付かんかった、気にすらもして無かった、ってェだけの話で、さ…。

そう考えると、マイクロプラの問題と言うのをガチで何とかしようとするなら、ハッキリ言うけども、プラの生産を止める、みたいな事では無く、過去に廃棄して来たプラを残らず掘り起こすなり何なりして全て回収する事が先決、と成りませんかね?と、オイラは思う訳なんですよ…誰も其処まで考えて無い様やけども…。

けども、そんな非生産的な事、非効率的な事、イタチごっこ的な事、出来ますか?と考えたら、誰も出来んたァ思いますよ、と言う話に落ち着くんすよね。

更に、石油繋がりで言うなら、所謂“電気自動車何ちゃら”の件も然り、で…。

今…中国で、所謂“EVの墓場”とか言うヤツが大問題に成っとるらしいですな、と…。→

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f09610a87308a1f5b083e28cc33afb138600b81

EVが大量に造られ、ソレが寿命が2〜3年、と…で、次から次へと買い替えては廃棄を繰り返してエラい事に、みてェな…。

なァ…コレの何処が“エコ”なん?と…。

内燃機関の車なんぞ、事故でも起こしたり何だりせにゃあ、普通に10年以上は保つ訳よな?と…。

50年前は疎か、100年近く前の車すら、普通に簡単な整備だけでも動きますわ…。

後、EV信者の殆どが、電気自動車をパソコンかスマホ感覚でしか見てない、と言う部分も大問題かつ視野狭窄過ぎるし、何より世間知らずでしか無ェわな、としか言えん訳で、ね…。

抑の話、スマホやPCは“人や物を乗せ(載せ)て運ばない”わな?と…。

だから、コレ等のガジェットは数年で買い替えも出来るし、例えばパーツをバルクで安く買って入れ替えだの何だのとかも出来るし、維持費も掛らんし、何より安全だ何だと言うのも考えなくても良いんだけども、さ…。

“自動車”は、そうは行かねェんすよ、と…。

ソレと、EV信者はバッテリー管理(ソレと自動運転)をOSで何ちゃら言いますけども、例えば、其のOSにしたって、何ならソレのバージョンアップ(アップデート)もして行く事に成るんでしょうが、そのアップデートされたOSに対応出来無く成った、其れこそマイクロチップ(CPU)でもコンデンサでもセンサーでも何でも良いんだけどもさ、“如何やって変えるの?膨大に車には積まれるのに”的な、さ…。

スマホにしろPCにしろは良いですよ、先程も言いましたが、買い替えれば良いし、何ならパーツを安いバルクとかで見つけて、みたいな事が安易に出来ますからね。

ソレに、失敗しても個人の自己責任で全て収まりますからね、スマホもPCも…。

車は人や物を運ぶ、と、先程言いましたが、ソレと同時に、走行する、と言う事は、本人だけで無く、同乗者も周囲の人間や建築物等々も、死や破壊の危険に巻き込む恐れすら在る、と言うリスクもプラスされる訳ですわ。

故に、自動車乗る時は保険は絶対に必要だし、免許やら何やらも必要と成る訳ですやんか…。

其の最も重要な部分をスッ飛ばしてモノを考えなさんな、と言いたくも成りますよな、と…。

で、先程も言いましたが、2〜3年、長くても10年程度で全く使いモンに成らん、と言うなら、ハッキリ言うて製造及び廃棄のサイクルも今の内燃機関車よか遥かに短く成る、と言う時点で全くエコでも何でも無いわな?と成るんですよ…。

で、廃棄した車体なりバッテリーの中身なり何なりをどないすんねん、と…。

そして、次々と短期間で生産されて行くバッテリーの中身(原材料)なりをどないして採掘したり加工して行くつもりやねん、と…。

車体にしろタイヤにしろの原材料もソレと共に増えてく訳やけども、ソレもどないすんねん、と…。

其処から延々と出来て行く有害廃棄物を如何やって処理して行くねん、と…。

そう言うさ、もっとマクロな視点でモノを観たり聴いたり考えたりとかしてくれんかな?と、マジで思いますよ…。

エコだと思ってる事が、実は全くエコでも何でも無く、完全に逆効果にしか成って無かった、と言うオチしかオイラにはマジで見えんのですわ…今の現状を鑑みると、ね…。

ま、ハッキリ言いますが、今、やってるエコだ何だ、って、結局の処、マジな話、やってもやらんでも同じやった、単なる自己陶酔と自己満足だけやった、欺瞞の塊やった、寧ろ問題しか産まなかった、みたいに成る気がしてならんですよ…嘗て、意識高い系が“コレは素晴らしい”筈、と、其の理念を褒め称えて憧れて、実際にやって見たら地獄だった、と言う共産主義思想みたいに…。

後、例えば人口が減るでも良いですし、人間が絶滅するでも良いですが、そうすれば自然環境は良くなるのか?と言うのもハッキリ言うて疑問です。

何故なら、コレ、良く聞く話やと思いますが…“人が山を手入れしなかったら山が荒れた”とか聞きません…?

何でよ?と、疑問に思うた事ないですか?と。

人が手を入れない、って、最も“自然な状態”ですやんか…なのに、何で“荒れる”ん?と…。

結局、何やかや言うて、我々の思う(想う)“自然環境”って、何を如何しようと我々の思った程には長続きしない、と言うか…寧ろ、惑星的には物凄い不自然な状態、と言う事でも在るんでは無いかな?的な、ね…。

ま、抑の話、どんなモンでも始まりが在れば終わりも在る、と言う事で…。

過去にも仏陀の言葉を引用しましたが、もう一度…。

“生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならない。”

コレは自然環境とやらにも当て嵌まるんでしょうな、と…。

理想と現実は取って変えたらあかんのです。

ソレこそ、ディストピアの始まりなんですから…。

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