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200315鬼太郎に見る「本質は変えず背景を変える」編集

ゲゲゲの鬼太郎の第6期となるシリーズが佳境を迎えています。今日の放送(3月15日)を含めてラスト3回。

今日の放送があまりに衝撃的でした…

ぬらりひょんの謀略で、妖怪と人間の対立が深刻化。妖怪による人間への被害を防ぐために「妖怪対策特別措置法(たしかこんな名前だった)」なる法案が成立。

妖怪と人間の仲介をかって出ようとした鬼太郎が国会へ乗り込み、総理大臣に銃で撃たれるという…いやいや(笑)みたいな展開。

つっこみどころしかない…。でもおもしろい。うちの子なんて、「鬼太郎が死んじゃった~妖怪なのに」って泣いてました(笑)

総理大臣が敵を銃で撃って…子どもむけのアニメで(笑)安部総理もそんなことやるんじゃねーかって、こどもが思ったら、それはそれでおもろい。

いや言いたいのはそこじゃなくてですね…

※※※

鬼太郎のアニメって、サザエさんとかと違って、その時代に合わせて、ストーリーもキャラクターの見た目もどんどん変わっていくのがすごいですよねって話です。

それって情報編集という見方をするとすごくおもしろいぞ、ということを誰かに伝えたい。

鬼太郎がテレビアニメに最初に登場したのは、なんと1968年、52年前です。あっ、だから「鬼太郎50周年」ってやってるのか。

この50周年記念サイト見てても下のように、その時代時代の問題を背景に使ってるんだなというのとがわかりますねー。

第二期1971~1972年
当時日本を覆っていた環境破壊、公害、そして高度経済成長、サラリーマン社会が生み出した問題、そして新たな妖怪たちが物語に深みを与えている。
第三期1985~1988年
文明が発達し、自然や他人に対する思いやりや優しさが失われている現代、身勝手な人間たちに対する妖怪たちの怒りが爆発する。

今回も外国人労働者問題とかも扱ってたなぁと。

でも話の本筋は、妖怪と人間の共存なわけですよね。そこは変わっていない。でも時代の問題によって、妖怪と人間が対立するネタが変わってくる。

背景を変えることで、物語を量産できると言うこともできますよね。

つまり「本質を変えず、背景を変える編集」と言うことができるのではないでしょうか。

こうやって鬼太郎は50年新鮮なまま生きてきたのでしょう。

※※※

さて、この背景を変えるというやり方の「背景」は、「時代」だけなわけではありません。

いつもと「舞台」を変えるというやり方も物語でよくやる方法な気がします。

アニメの劇場版もそうですよね。今目の前で子どもがamazonプライムで、クレヨンしんちゃんの劇場版「襲来!!宇宙人シリリ」というのを見てますが。

まさにこれがそうで、普段のしんちゃんは春日部に暮らす家族と保育園、地域を舞台としたお話ですよね。

これが劇場版になると、しんちゃんってすごい舞台変わりますよね。なんかSFちっくというか。「宇宙人シリリ」ですからね。

そして逆に…

なんか最近(?)よくある「転生したら~」とか「異世界~」みたいなマンガは、異世界という背景は同じで、そこにのるキャラとかストーリーが変わるというやり方ですよね。

こんな風に見ていくと、物語の作り方とか他作品との違いとかを考える材料になっておもしろいですねー。

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