自分の選択

皆さんはなにか洗濯…選択したことはありますか。

大抵の人間はしたことがあると思います。いやしたことのない人はいないでしょう。例えば、今書いている途中でトイレに行きたくなったら、トイレにいくか行かないかを選択することになるでしょう。トイレに行けば漏らす可能性は低くなります。しかし、トイレに行かなければいずれ漏らしてそれこそ洗濯しなきゃいけなくなりますね。

短期的に見ればトイレに行きたいというエネルギーを利用して文章を書くことができるかもしれません。これはトイレに行かないことでのメリットだといえます。私は全力でトイレに行きます(笑)確かに一段落つけてから行きたい気持ちはわかりますが。

このように行動するのもしないのも自分の選択によるものです。どう転ぶかはわかりません。選択する時点では可能性は50%ずつあると思ったほうがいいかもしれませんね。

大抵の人は自分の行動を一貫した者と見がちです。でも選択した後どう転ぶかわからないのであれば、選択したこととしたあとの行動は必ずしも一致しません。ショッピングをする時、あなたは「推測」して選択をします。でも、期待通りの服が買えるとは限りませんよね。

これを一貫して見てしまうことであなたはなにかの事柄に対して「劣等感(コンプレックス)」や「レッテル」を感じてしまうかもしれません。期待していただけに感情は動いてしまうものです。なので「感じる必要がない」わけではなく「感じるべくして感じている」ものです。よく「そんなもの気にしないでいいじゃないか」という意見を耳にして余計に落ち込むかもしれません。

でも、その人は表面を見て言っているのです。人が頼っているのはだいたい視覚です。第一印象が大事だと言われるのはここでしょう。しかし、あなたの悲しみや感情の揺れまで見ているわけではありません。というか見れないからそういった反応をしているのです。

いろいろな問題はあってもその人にとっては大問題です。自分の人生の一部を決めているものですから。大体人は本人にしかわからないところはアドバイスできないものです。信頼している人には相談してもいいかもしれませんが、赤の他人の意見を気軽に受け入れるべきではないですよ。

赤の他人(ここでは信頼していない人)の意見を受け入れすぎると自分が壊れてしまいます。親でも自分の心の領域を侵すような人がいますね。信頼しなくていいです。

ここでそういった人の意見を聞いてしまうと情報に振り回されてしまうんです。SNSでお気に入りの数を気にする人がいますね。確かに、他人からの評価は重要かもしれません。しかし、自分が思ったことなんだから素直に書いていいんです。また、ソシャゲで「少数の声の大きい人」の意見を聞いて崩れたソシャゲがたくさんありますね。

あなたは感受性が豊かです。しかし、(情報化社会では特に)自分をしっかり持ってください。お願いします。あなたを潰さないでください。

(追記)今からは個人の時代です、と言われています。そこで個人を発揮してもいいです。でも発揮しない権利もあります。ゆっくり探す権利があります。突然今の教育のシステムで「自由」や「個性」を発揮しろと言われます。いきなりできるわけないだろ!!!!!!!!!!!!!!と怒ってください。あなたにとっての自由がなんなのかゆっくり見つけてください。人から押し付けられた「自由」はあなたのしたいことですか?


…トイレ行ってきます(小声)

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