見出し画像

人生、ここにあり!

画像勝手に反転するんだけどなんでなんだろう。

今日は、10時に起きて1時間ギターの練習してから大学行こうかななんて思って10時に目覚ましをかけたのに、結局二度寝して11時に起きた。いつも朝やろうと思って、結局まあいいかとやめてしまう。朝活という言葉が数年前に流行っていたような気がするが、私には到底できない。どこか行かなければいけない予定がない限りは朝は絶対起きない。起きても昼までまた寝てしまうのだ。ああ、きっと勿体ない時間の使い方をしているのだろうな。私の人生の時間を誰かにあげたらもっと有効的に使ってくれるんだろうと思うのだけれど、私の時間は私にしか与えられていないわけで、いや、与えられているという言い方もおかしいのだけど、とにかく人に渡すことは残念ながらできない。だから、自分が有効的に使っていくしかないのだ。まあそう言って、結局生産性のある事もやらなければ、自己実現のために努力もしなければ、特に意味のないことばかりやってしまう。意味のないことなんてないよ!と言ってくれる人がいる。その通りかもしれないが、自分が得る利益とか対価とかなんかちょっとうまい言葉が見つからないけど日々の自分の行動では、それがあまりにも薄すぎるのだ。

ご飯を食べて、ゆっくりYouTubeを見ていたら12時になった。12時15分には家を出なければいけないので急いで支度をした。

いつも金曜は3限しかないのだが、今日は補講の分も、ということで3.4限と連続してあった。内容としては映画を見て、その感想を言うという比較的楽な授業だった。

そこで『人生、ここにあり!』というイタリアの映画を見た。精神科病院内作業所のようなところにいる患者たちの元へ、作業員のマネージャーとして主人公ネッロがやってくるのだけれど、最初はみんな心を閉ざしていたように感じた。ネッロは名前を聞いて、自己紹介をお願いした。患者を〇〇さんと呼んだ。そのことにみんな喜んでいた。また、ハガキの切手を貼る作業をしていたが、真っ直ぐ決まった場所にはれていない。そのハガキの束を見て、パラパラ漫画のように美しい螺旋を描いて貼ってあるのだと気づく。そのことを才能だ、と褒めて、けど仕事はちゃんと決められたことをやらなければいけないのだと諭す。そして普通の仕事をしたくはないのか、と患者に尋ねる。そして組合会議を始め、受動的な仕事か、市場に出るかを尋ね、多数決をとる。そこで、「私たちには決められない。勝手なことをすると先生に怒られてしまう。」という趣旨を主張する者がいたが、それに対してネッロは「組合のことは組合員で決めるんだ。医者は関係ない。」と言った。そして、どんな仕事をしたいかと尋ねた時、「からきし分からない。」と言う者がいた。そのことについても「ありがとう。」と感謝を述べ、ボードに1つの意見として書いた。そこから他の組合員も積極的に意見を言っていた。手を挙げ、何も言わない者もいたが、そのことも受け入れていた。後に、その者を喋らないから風格があるとして理事長というポジションにおいた。その後も何か決まると言う時は多数決をとっていた。

医者には無理だ、諦めた方がいい、君は彼らに勘違いをさせているだけだと言っていた。それでもネッロはやればできると言って彼らを励まし続けた。

そして彼らはみるみる仕事をこなしたいった。仕事をしていないものには、ネッロが役割を与えていた。一人の青年は仕事の最中、仕事先の家の持ち主に恋をした。最初は気味悪がられていたが、だんだん受け入れられ、あちらからキスをされた。ダンスパーティにも誘われて、彼女にブレスレットを購入するため、フランスへ行く大きな仕事の話が入ってきていたが、最初のうちは無休で働かなければならないと言われた時、彼はそのことに反対した。それどころか、他のメンバーも無休で働くことに反対し始めた。ネッロは頭を抱えたが、協力的な医者には「お前はこれを望んでいたんだろう。」と声をかけられていた。

恋する青年は、恋する相手の家での最後の仕事が終わり、これで終わりは寂しいと言っていると彼女の方から出かけようと提案をしてくれた。そして、同僚のルカと彼女の友人と4人で映画を見に行き、別れ間際には彼女からキスをされた。そして、ダンスパーティー(ホームパーティーかもしれない)に誘われた。

ダンスパーティーでは、彼女の手作りのお菓子があった。彼女に勧められて、彼は口にするがそれが手作りであるということを知り、すぐに吐き出し、「手作りには毒が入っているんだ…!」と言ってしまった。そこでルカがその場から一度離れさせた。その後、彼は彼女に思いを寄せながら一人で踊っていた。周りには少し距離を置かれていた。彼女の仲の良い友人か彼氏なのかは分からないが、その人が彼をバカにするような発言をした。そのことにルカは腹を立てて、バカにするような発言をした男を殴ってしまった。

その後、警察に連絡が行き、ネッロにも連絡が入った。起訴するかどうかという話を彼女と殴られたおとこと警察が話していた。そこにネッロが起訴しないで欲しいと言いにいくと、彼女は「彼がまさかこんなに普通じゃないなんて思わなかった。気の毒な人なのだから起訴などできない。私は彼に勘違いをさせるべきではなかった。」という内容を話していて、結局起訴はされないこととなった。ただその話を聞いていたと思われる恋する青年は翌日自殺をした。そのことで、ネッロは責任を感じ、組合を去り、ネッロの恋人が働く会社かそこに関係している会社で働くこととなる。組合の方へ挨拶をしに行くと、最初反対してた医者は、「君の功績を認めざるを得ない、患者がまさかこんなに変わるとは。」という趣旨の発言をしたが、それでもネッロはその場を離れた。恋する青年が自殺してからルカは起き上がっていない様子だったが、ネッロの姿を見て、ネッロを連れ戻そうと自らボードとペンを手に取り、最初ネッロが行った組合会議を行った。

そして意を決したように、組合員でネッロが働く場所へと突撃し、ネッロもそのことに心を打たれて戻っていった。

最後どうやって終わったか分からないが、印象に残ったところを抜粋しながら話のあらすじを書いてみた。私は本当にまとめるのが下手で、この映画を見終えた感想を簡単に発表し、また、A4の用紙に書かなければならなかったのだが、自分が何を学んだか、どういうことが印象に残ったのか、何を感じたのか、が雑多すぎて端的にまとめられないのだ。だからあともう少しだけ記す私の感想も本当に酷いものだが、ここまでの駄文に目を通して下さったあなたなら見て下さるだろうか。

一番この映画で印象に残った言葉は「勘違い」だ。医者は最初、ネッロに彼らに勘違いをさせているだけだ、と告げた。しかし実際には勘違いだっただろうか。見事、みんなで仕事をやり遂げ、薬の投与量も随分少なくなった。自分の意思を表明し、それぞれが自分らしさを取り戻していったように感じる。そして、医者自身もそのことを認めていた。だからこそ、できないと決めつけて、なるべく大事にならないようにと動くことが本当に患者のためになるのかということを考えなければならない。もちろん、彼は何ができないから何のサポートが必要だ、彼女は何が苦手だから何の支援がいるということをアセスメントし、必要な支援を届けることは今後も大切なことである。ただ、できないと決めつけてしまうのではなく、精神障害があったとしても、一人の人間としての可能性をたくさん持っているのだから、今一度、この支援で本当に大丈夫なのかということを支援者、支援を受ける者と共に考えていくことが重要である。

そしてもう1つ、勘違いという言葉が出てきた所があった。警察で起訴か不起訴かを決めるシーンで、彼女が「勘違いをさせてはいけなかった。」と言っていた。この恋愛における勘違いというのは、恐らく精神障害の有無に関わらず、よく起こることなのだと思う。もちろん、統計データも参照せず、私の偏見に依る意見なので、実際にはそうではないのかもしれないが、精神障害を持つ人々はこの勘違いをしやすい傾向にあるのではないかと思う。本当に偏見から物事を発言するのは非常に危険なことだと思うが、私は彼らの「勘違い」が発覚した後のストレスを考えるとこの場を借りて発言したくなってしまったのだ。まず、入院生活が長かったりすると異性と交際するという経験をなかなかし難いと想像できる。また、考え方や性格などは人それぞれなので一概には決して言えないが、素直な人が多いのではないかと想像している。だからこそ、慎重に、と周囲の人もいけよいけよと背中を押せるわけではない。そこが難しいところなのだと思う。恋愛はまた別の話なのかもしれないが、精神障害を持つ人が様々な自己実現を求めていく時に、彼らの安全のために止めることは正義であり、彼らをできないと決めつけてかかることが悪なのだろうか。安全のため、というのはどこからが安全のためなのだろうか。自傷・他傷がない程度だろうか。恋した青年には仕事をすることない人生を、ネッロが介入することがない人生を歩んだ方が良かったのだろうか。凄く難しい所であるな、と感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?