古事記②

隠れた、は死ぬことではない。

古事記読んでないかたにはなんのこっちゃ、だが、古事記冒頭にこんなような記述があり、

天地初発之時
於高天原成神名
天之御中主神

簡単に訳すれば、
天地創造のとき
高天原に、
アメノミナカヌシという神が現れました。

高天原とは、タカマガハラとか、タカアマノハラと読まれる、我々の遠い祖先のおわすところと言われる。

アメノミナカヌシの、天(あめ)は、天空全体であり、御中(みなか)なのでど真ん中。その主。つまり遥か彼方の天空の主。

つまりは、宇宙のど真ん中の、点といえます。あらゆる空間の最初の点。

アメノミナカヌシの次に現れたかみは、タカミムスビと、カムムスビ。むすひ、とは、何かが生じること。霊的なもの。
アメノミナカヌシと併せて意味をとると、宇宙のど真ん中の点がむすひ、した。これはビッグバンだと思われるわけなのだ。古事記編纂は1300年も昔のこと。何故奈良の時代にそんなことに想像を馳せることができたのか?不思議ではありませんか?

つまり、アメノミナカヌシという存在は空間そのものであり、隠れたとは、ビッグバンにより我々の宇宙の誕生をおこし、その身のなかに、宇宙を取り込まれた、ということになるのだ。