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「期待」を超える時ってどんな時?


兄から動画が送られてきた。

YouTuber、姪。


3歳の姪が5歳の姪と一緒に絵の具を使って塗り絵をしようとしている。時々カメラ目線をくれながら話す、姪3歳。

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「えのぐをしたいとおもいまぁーす」
「でっ、えのぐつかいまぁーす」
「みんなとあそびたい、えのぐでーす」
「なにいろをつかうというとーー、むらさきとぴんくでしたー」
「みんなでむらさきをつかいたいと、おもいまーーーす!!」


YouTuberを意識しているらしい笑 
高い声にまだあどけなさが残る3歳。声が弾んでいる。かわいい笑

1分10分の動画のうち、初めの1分はずーーーっと塗らない笑

筆に絵の具をつけた状態で、YouTuberになりきってオープニングトークを繰り広げている。

しかし、むらさきって、この絵のどこに塗るんだろう・・・。このいい感じのオープニングトークの間合いにより、彼女がどこにむらさきを塗るのかとても気になってきた。ドレスかな?タキシードかな?どんな世界を見ているのかなぁ?

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この動画、ドキドキする構成になっている。な、なんかうまいぞ。

そして最後の10秒。ついにその時がきた!筆をおろしたーーーーー!

・・・っておーいい!見えない!!

ここでカメラマン、謎のズーム!!!み、みえない!笑 

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それも演出ななの?え?え?笑

あ!見えた!見えたぞ!

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って、背景かーーーい!!!!!笑


「期待」を超えるときってこんな時。


人の「期待」はこのようにして、自分の経験に基づき、無意識にかけているんだと気づいた。塗り絵といったらその枠の中でしょ。という具合に。

こうしたほうがいいよとか、これはどう?って、ついつい言いたくなる。そしてそれは、もちろん相手のためだと思って。良かれと思って

今回の動画を見て、自分が相手にかけた期待を超えるときは、自分の”良かれと思って”を手放した時なのだと感じた。


「良かれと思って」はあくまでも自分が考える「良かれ」であって、それは大抵自分の経験からくる「良かれ」だ。人と人は違う。だから自分の良かれが相手にとって良いかどうかなんてわからない。

だからこそ、自分の”良かれと思って”を手放し、相手の可能性を信じる。信じて任せる。そうすることで、きっとその人はその人らしい鮮やかで豊かな色で彩られた人生を過ごせるのかもしれない。この塗り絵のように。


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一人一人の可能性や強みを最大限に発揮するチームには、やっぱりコーチングが必要だ。と思った三連休前の夜でした。


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コーチングとは??


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