note5 国生み

国生み 原文 

国生み 解説


皆さん こんにちは。

今回は、国生み の解説をします。

前回の続きから。
伊邪那岐命と伊邪那美命は蛭子・淡島という御子として入れないない御子が生まれ国生みに失敗します。
その理由は
「女が先に声をかけたのが良くなった」
と、伊邪那岐命が言っています。
その「女が先に声をかけたのが良くなかった」についての解釈は前回の「おのごろ島」の解説に書いてありますので、よかったら読んでみてください。

ここからが今回の 国生み の解説になります。
伊邪那岐命と伊邪那美命が相談した結果
「今、われわれが生んだ御子は良くない、一度天つ神のところへ行って、申し上げなければならない。」
と言って、二柱の神は一緒に高天原に上って、天つ神の教えをお受けになりました。
そこで天つ神は、「太占(ふとまに)にうらえて」つまり占いをするのですが、具体的には鹿の肩の骨をははか(バラ科の落葉高木)の皮で焼く方法で占いをします。
その占いによると、
「それは、女神が先に言ったことが良くなかった。もう一度帰り下りてやり直しなさい。」と天つ神に言われました。
そういうわけで、二柱の神は、帰り下りて、また前のように天の御柱の周りを巡りました。今度は伊邪那岐命が先に「ああ何と美しいお嬢さんですね」と言い、後から伊邪那美命「ああ何と頼もしい青年ですね」と言われました。

ここで「太占(ふとまに)に卜相(うら)えて」について補足をします。
太占とは、鹿の肩の骨や亀の甲羅を焼いて、浮かび出た紋様によって吉凶を占う占いです。
昨年、平成から令和の御代になり、令和元年11月14日に大嘗祭(だいじょうさい)が行われました。新しく天皇陛下になられた初めての新嘗祭(にいなめさい)を大嘗祭と呼びますが、この大嘗祭で使う新米の収獲地は斎田定点の儀と言い、亀の甲羅を焼いて占いをする亀卜(きぼく)という非公開の儀式によって決められました。つまり、古事記にある占いが受け継がれ今の代でも執り行われているのです。

さて、伊邪那岐命と伊邪那美命が天つ神に言われたように、やり直しをして、国土ができます。日本列島の誕生です。
最初にお生まれになった 淡路之穂之狭(あわじのほのさ)別(わけの)島(淡路島)です。
 次に 伊予(いよ)の二名(ふたなの)島(四国)をお生みになりました。この島は身体が一つでありますが、顔は四つあります。そして顔ごとにそれぞれ名前があります。すなわち、
伊予(いよの)国(愛媛)を愛比売(えひめ)と言い、讃岐(さぬきの)国(香川)を飯依比古(いいよりひこ)と言い、粟国(あわのくに)(徳島)を大宜都比売(おおげつひめ)と言い、土佐(とさの)国(高知)を建依別(たけよりわけ)と言います。次に 隠岐(おき)(島根)の三つ子の島をお生みになりました。またの名を天之忍許呂別(あめのおしころわけ)と言います。
 次に筑紫(つくしの)島(九州)をお生みになりました。この島も同じく身体は一つでありますが、顔は四つあります。そして顔ごとに名前があります。
すなわち、筑紫(つくしの)国(筑前・筑後。福岡)を白日別(しらひわけ)と言い、豊国(とよのくに)(豊前、豊後。福岡北部・大分)を豊日別(とよひわけ)と言い、肥国(ひのくに)(肥前、肥後。佐賀・長崎・熊本)と建日向豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ)と言い、熊曾(くまその)国(宮崎・鹿児島)と建日別(たけひわけ)と言います。
 次の、壱岐(いき)の島をお生みになりました。またの名を天比登都柱(あめひとつばしら)と言います。次に津島(つしま)をお生みになりました。またの名を天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)と言います。次に、佐渡の島をお生みになりました。次に大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)(穀物が豊かに実る国という意味。大和と中心とした畿内地方。または本州、または日本のこと)をお生みになりました。またの名を天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきづねわけ)と言います。この八つの島をまず先に、お生みになったので、日本を大八島国(おおやしまのくに)と言います。
 伊邪那岐命と伊邪那美命は、大八島国を次々にお生みになって、「おのごろ島」の方へお帰りになる時に、また吉備児島(きびのこじま)(岡山県の児島半島)をお生みになりました。
またの名を建日方別(たけひかたわけ)と言います。
次に小豆(あづき)島(瀬戸内海の小豆(しょうど)島)をお生みになりました。またの名を大野手比売(おおぬでひめ)と言います。次に大島(おおしま)(山口県柳井市。屋代(やしろ)島と言われている)をお生みになりました。
またの名を、大多麻流(おおたまるわけ)と言います。
次に女(ひめ)島(大分県国東(くにさき)半島の東北。姫島と言われている。)をお生みになりました。またの名を天一根(あめひとつね)と言います。
 次に、知(ち)かの島(長崎県の五島列島)をお生みになりました。またの名を天之忍男(あめのおしお)と言います。
次に、両児島(ふたごのしま)(長崎県の男女列島)をお生みになりました。またの名を天両屋(あめふたや)と言います。
吉備児島から天両屋島まで合わせて六島です。

このように日本は、伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱の神が天つ神の御心と一つになってお生みになった国土であるということが特徴かと思います。国土は、単なる物質としての土地ではなく、そこには神が宿り、いのちが宿っていると考えます。それを人格化し、またの名として、男神・女神の神名がつけられています。
国土には神々と同じく「いのち」が流れています。私たちの先祖は、国土にも私たちと同一の神様から賜った「いのち」が流れていることを確信していたのかもしれません。つまり、神々と国土と私たちの三者の「いのち」は、その根底において同一であると信じていたのかもしれません。そのような観点に立てば、私たちは死なないと言えますし、私たち一人一人の中に神が在ると言うこともできるかと思います。

今回の国生みについては、実際に地図を見て場所を確認するとさらに興味深くなると思います。実際にそこで生まれた方はさらにご縁を感じることでしょう。
特に最初に生まれた、淡路島は東経135度いう場所にも位置していて、あ・わという母音(ぼおん)・半母音(ぼおん)であることからも、言霊の原理により名付けられ五十音を表しているようです。

今回はここまでです。
ありがとうございました。

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