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言葉と脳と、悩の靄

最近、文章を書くことを習慣にしようと、これを書いている。まだ2,3日間隔なのだが、書くことで頭の靄に少しずつ隙間ができているような気はする。

文章を書く際に、いつも使っている言葉をgoogleで再検索することがある。慣れ親しんだ言葉でも本当の意味は違うかもしれない。ラフに書いているが文章にすると固く見えがちなので、ここで本当に伝えたい意味がズレるとみっともないのではないか、と考えてしまう。

それは自分の考えすぎで、実際はこれを見ている人は気にしていない。でも、これを読むくらいだから文章能力に長けた人が見るかも。そういう人には陳腐なものに見えるかもしれない。

今も何を書いているのか、実はよくわからない。ただ、こうして書くことが脳のトレーニングになっているように思う。こうしてデジタルで打つのではなく、紙にペンで書く習慣も少しずつ始めている。

脳も心も声の置き場を探している。雑でも良いから何かに書いたりすることで、一つ行動したという小さな事実が生まれる。その積み重ねの質が上がるほど歩幅は広くなり目的地まで早く行ける。

なんてそれっぽいことを書いてはいるが、僕自身、まだ靄が晴れていないし、メモの習慣を始めたばかり。ひとまず、ここで書く文章が100件程になったら、何かしらの変化が見えるかも。もっと文章能力とユーモアとセンスを磨いていきたい。

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