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フォトグラファーになったきっかけ

すべてはこの一枚の写真から始まった。この写真がとある写真賞のグランプリになったことが、僕のフォトグラファーとしてのキャリアの始まり。2014年に撮影した写真。

この頃は写真への興味は薄かった。周りに写真を専門で撮る人も居たし、僕はどちらかと言うとビデオグラファーやディレクター側だと思っていた。また、幼い頃から音楽を作っていたから音楽家としての我が強かった。

この写真がグランプリになったタイミングで、たまたま会社員を辞めることになった。その時に、音楽家だった頃の縁で幾つか写真の仕事が入ったことから、まずは三ヶ月だけフリーランスをやってみようとなり、畏れ多くも僕はフォトグラファーと名乗り始めた。2015年の話し。

写真は2008年頃からマイペースにやっていたものの、細かな理論や技術はなく、自分で言うのも変だがセンスだけだった。それが嫌で勉強をした。

写真の先生方にダメ出しをされたり、映像の師匠の元についたり、売れっ子フォトグラファーのアシスタントをしたり、滞在時間20時間の長崎フォトツアーで眠らずに大先輩にあたるフォトグラファーと話しをさせてもらったり、ワークショップにも沢山通った。とにかく「写真を上手く」なりたかった。

沖縄で出会った同期のフォトグラファー達は凄まじいセンスがあり、尚且つタフで、沢山の刺激をもらった。メンバーとして在籍しているビーチロックの演劇を通じて文化や心を知った。ミューズに出会い、彼女を撮りながらポートレイトを学んだ。見慣れてしまったはずの海も、その時々で写真を撮ると、こころの模様が写っているように思えた。

なぜ、ここまで写真にのめり込んだかと言うと、僕が唯一、人の役に立てることが写真だと思うから。小さな写真賞のグランプリだったけど新聞に載り、その新聞の切り取りを嬉しそうに眺める祖母の姿を今も覚えている。何をやってもダメだった僕が貰った最初で最後の表彰状。

業界のルールもよくわからず、その時々でベストなやり方を考えてやってきた。でも、もっとちゃんと修行や勉強をする時間や姿勢を持っておけば良かったと、10年目を迎えた今は思う。

生活すること、仕事を取ること、動きを作ることに精一杯で周りが見えなくなる時もあった。悪いことをしたと思うこともあるし、それでも側に居てくれる仲間に感謝すると同時に、不甲斐なくて申し訳ないとも思う。

僕の30代は写真と共にあった。ポートフォリオを作りながら、よくもまあやってきたもんだと、なかなかそれらしいぞと、それなりに頑張ってきた自分のことを眺めている。

僕は有名にも売れっ子にもなれなかった。どうにかフォトグラファーの仕事にしがみついている程度だ。続けていることがえらいとは言われる世の中だが、これ以外のことで生きていく術がよくわからないという面もある。

なぜ写真を上手くなりたかったのか。それは単純に生活をしていくためだ。夢とか、希望とか、そんな輝くものではない。

でも今は、いつか僕の写真が誰かの背中を押すものになってくれたらという想いで写真を撮っている。

だって僕は、この写真に背中を押し出されてフォトグラファーになったのだから。

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