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『日本橋魚市塲沿革紀要』を原典で読む Part 8: 「魚會所」の設立と魚市場の地理

前のパートでは、大和屋助五郎が設立した活鯛流通システムについて触れました。

今回は、その続きを読んでみましょう。

日本橋魚市塲沿革紀要

尋テ問屋ノ業ヲ営ム者彌増シ終ニ本船町横店及ヒ安針町ノ各所ニ市場ヲ開クニ至レリ当時本小田原町ニ魚會所ヲ設立シ以テ日々幕府膳所ノ納魚ヲ司ル(専ラ本小田原町組ニテ之ヲ取扱フ)当時各魚問屋ハ組合ヲ別テ四組トス(本船町組本小田原町組本船町横店組安針町組)之レヲ四組問屋ト称セリ

(魚の)問屋業を営む者がますます増えて、ついに本船町横店(よこだな)及び安針町の各所に市場を開くようになった。当時、本小田原町に魚會所を設立して、日々幕府の膳所に魚を納める仕事を司った(もっぱら、本小田原組にて之を取り扱った)。当時各魚問屋は組合を分けて四組としていた。本船町組、本小田原組、本船町横店組、安針町組を四組問屋と称した。

書かれた内容は上記のとおりなのですが、ここで地理関係について確認しておきましょう。

尾村幸三郎「日本橋魚河岸物語」p.63 より抜粋

ちょっとみづらいですが、画像左下に日本橋があり、平田船が並ぶ脇にあるのが本船町です。そこから二十軒通を経て隣にあるのが安針町、さらにその隣が本小田原町です。

現代の地図と併せて見ると、よりイメージがつきやすくなるかと思います。今の日本橋三越本店付近も魚市場がゴロゴロしていたと思うと不思議な気持ちになりますね。

Google maps日本橋周辺スクショ

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