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悟りという境地

意識の視点を高めていくことで主観が客観化していきます。

そのまま主観がどんどん客観化していくことで、最終的には主観が無くなります。(もちろんそこまでできるかは別として)

精神世界でいうところのノンデュアリティとも言いますし、悟りに近づくとも言えます。

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主観というのは、これが派手、これが地味と言うことです。

ノンデュアリティの境地に達すると、赤8割、青2割という事実だけになります。そこには主観なんてものはありません。
無限に広がる色の組み合わせの中から、状況に応じた最適な色の組み合わせを見つけ出そうとする探究心だけが残ります。

では、客観なら、悟りを開けるのかということです。

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ロボットを見て悟りを開いていると思う人がいるでしょうか、ノンデュアリティなら理想的で良いというわけないです。

やはり主観もいるのです。
究極は主観と客観も使い分けられるということ、主観のみ、客観のみ、主観が強め、客観が強め、と様々なレベルで切り替えられることが大切です。

Cool Head Warm Heartと言いますが、頭は冷静でも心は暖かくいたいものです。

実現できるかは別の問題ですが、このように悟りという難解なことも順を経て考えれば、何ら怪しい話ではありません。何でも宗教的なものは怪しいという思考停止の時代が長く続いてきましたが、元に戻したいと思います。
このような学びに関心のある方は一緒に学びましょう。


これからも良い記事を書いていきます。