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占術理論による神道占いの変貌

密教と陰陽道の習合が起こりました。

陰陽道は占術が強いですから、そういう知識と技術は様々なところに流れ込みました。

浄蔵は平将門の調伏や、菅原道真の封殺、内裏炎上を予言するなどの活躍をした僧です。

浄蔵は占筮に優れ、しばしば人の運命を占っています。
必要に応じて密教の護法によって童子姿の鬼神を駆使しました。

仁海も雨を降らせるために、事前に占いによって結果を把握していました。
また、天皇の病も占いで診断しています。

古代律令体制の頃は神祇官が亀卜によって占い、陰陽師が易によって占った結果を総合的に判断していました。
平城京の遷都も亀卜と易が共に吉だったことから、その地が選ばれたわけです。
時代が経つにつれて占いは高度化し、占筮が主流になり、神道にも易経や五行論が入ってきました。
そこから亀卜においても解釈のために陰陽八卦や五行理論が入るようになったのです。
神道の占いにおいても占術理論が入っているのはそのような歴史を経たからです。

新しい理論が入ってくることで占いが変わるくらいのインパクトがありました。
そのくらい理論を学ぶと当てられたということでしょう。
特殊な感覚に乏しい人は理論だけで物事を予知しています。
見えない世界と占術理論を両方やっていますから、興味のある人はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。