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硫黄島からの呪い
後醍醐天皇のために関東を調伏祈祷をしていた文観。
そんなことをしていれば、いずれ幕府側にバレます。
結果的に捉えられて硫黄島に流されてしまいました。
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その後、後醍醐天皇は勝利し、文観も京に復帰しました。
さらに僧正の位を与えられました。
貴族や名高い学僧でもなく、単なる修験者だった文観が密教の最高位にのぼり詰めたと言うわけです。
しかし、このような出自にも関わらず最高位が与えられたのですから、高野山のメンバーは怒るわけです。
世俗化した宗教を批判して、人々を救済することを選んだ文観が今さら仏教界で地位を得ていくのはおかしいという言いがかりのような批判もありました。
![](https://assets.st-note.com/img/1698930487278-D2BtWiuFqh.png?width=800)
さらには、算術や卜占を極め、呪術を用いたと批判がありました。
しかし、真言僧としてはごく当たり前のことです。
それだけ、文観の力が抜群に凄かったと言うことです。
高野山側の批判によって、その凄さが証明してしまうと言うのが、何とも滑稽ですね。
見えない力を駆使できる人は島流しや数々の批判のような、事態を受けても返り咲いたというのが印象的ですね。
小手先の話だけでなく、きちんとやっていくことが大切だと言うことです。
興味のある人はぜひ一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。