日本人をはじめとした東洋人の存在理由
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人間はなんのために地球上に存在しているのか。
こう悩む方は多いと思います。
人間は地球を汚し、破壊している。
いっそ人間なんかいない方がいいのではないか。
そう主張する方もいます。
人間の存在意義はどこにあるのか、この疑問に捧げる解のひとつを、東洋思想の六神獣法と立体五行説になぞらえてお話しして行こうと思います。
結論からいうと、人間は「自然界のバランスを保つ」という使命を持って、地球上に存在しています。
六神獣法と人間
東洋の古代人は、全ての動物分類に際し「六神獣法」というものを採用しました。
これは動物の生息する場所によって分類する手法です。種族ではなく、生息地によって分けたところに、古代人の知恵を垣間見ることができます。
六神獣法は、湿地と燥地、水中と空中、地中と地上の六世界に分けています。
たとえば水中だけを取り上げると、クジラもいればペンギンもいて、マグロもいれば貝もいます。それこそ沢山の動物がいます。
そこで、無数の動物たちの一部分をつなぎ合わせて、架空の動物を各分類でひとつだけ作りました。その結果生まれた六種類の架空の動物が「六神獣」です。
東洋の六神獣は、有名な青龍、白虎、玄武、朱雀、そして勾陳、騰陀です。
・青龍
・朱雀
人間は地上に生息する動物なので、「騰陀」に属します。
いやむしろ、「騰陀」そのものが人間の代名詞なのです。
なぜ人間が騰陀の位置にいるのかといえば、動物の中で人間が最高の高等動物であり、湿地、燥地、水中、空中、地上、地中のどこでも住むことができるからです。
人間は地球上のあらゆるところに移動し、存在できるので、自由な放浪性を有する生き物です。
騰陀は世界の中心にある
ここでもう一度、六神獣の図を見てみましょう。
騰陀(人間)は中心に位置します。
また、東洋の思想では、五行論といって、世界のあらゆるものは木、火、土、金、水の五元素に属すと考えられています。
これを五行に直すと、以下のようになります。
この図を見ると、「木火土金水」の土の性質は中心に据えられています。つまり、騰陀は土(中心)の性質を持っています。
五行論の中での土の性質といえば、受け身、調整役、努力の積み重ね、吸引力、魅力、縁の下の力持ち、などです。
これを解釈すると、騰陀(=人間)は六つの世界の中心となり、あまねく動物から信望を集める王として君臨しながら、自然界からの頼まれごとを快く引き受け、地道にコツコツと努力を重ね、調整役として仕事をこなす姿となります。
騰陀と仏陀
皆さんは「仏陀」をご存知だと思います。
仏陀とは、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す用語です。主に仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)を表します。
人間界そのものが騰陀の世界です。
「騰陀」の中の「仏」ということで、「仏陀」と称したそうです。
ちなみに、釈迦にはいくつか称号があります。
仏教管理の師としての面は『釈尊』。
人間の悩みを解いてくれる救世主の面を『釈迦牟尼』。
そして人間を含めた動物界の王としての面を『仏陀』と呼びます。
釈迦の涅槃図を見れば、人間だけではなく、地上の諸々の動物たちも集まり共に悲しんでいます。ここから、釈迦が六世界を自由に移動し、あらゆる生き物から信望を集めたことがうかがえます。
いうまでもありませんが、釈迦は人間です。
それなのに、これほど多くの生き物から好かれていたのです。
釈迦が動物から好かれるのですから、同じ人間であるあなたにも、釈迦と同じ素質があります。釈迦は単にその究極系であるというだけです。
原風景
日本の原風景を思い出してください。
昔の日本人は山を整備し、里山を整えて、治水をおこない、海に養分を流しました。
これは人間が自分たちの住処を居心地よく整える行動ですが、有意識、無意識にかかわらず、自然界の正常な循環をサポートしてきたのです。
まさに先ほど説明した土の性質です。
日本に住む多くの生き物は、人間が手入れをした豊かな自然の恩恵に育まれ、その希少な生態系は大切に守られてきました。
人間には知性があります。
判断力があります。
これは、自然界が人間に与えた能力です。
知性や判断力の少ない人間以外の動物は、本能に従い生きています。
平常時ならそれでも何も問題はないのですが、いざ天変地異などの動乱が起きると、動物たちはなすすべもなく自然淘汰の波に飲み込まれてしまいます。
そこで地球は、「自然界のバランスを保つ」調整役を必要としました。
バランスを保つには、多すぎるものを減らし、少なすぎるものを増やし、環境を整え、災害のダメージを最小限に止め、かつ高い知能と愛をもった存在でなければなりません。
騰陀は動物界の王なので、その役目は一種族で十分だったのでしょう。
地球はこの役割を引き受けてくれる「騰陀」を、人間に任せることにしました。
そして人間・・・とくに和の精神という尊い精神をもつ日本人は、日本という島国で美しい里山を作り、動物や植物などのあまねく生き物と手を取り合いながら、代々土地を守り続けてきたのです。
この点は、自然を克服しようとした歴史をもつ西洋人とは決定的に異なる文化といえます。
思想の川
産業の発展が乏しかった近代までは、洋の東西を問わず自然は守られていました。
しかし、近現代で高い技術力を手にした人間の一部が、自己中心的な浅ましい欲に溺れ、世界中で争い事を起こし、金のために自然を汚すようになりました。
川の上流で流された毒は、その下流にある生き物全てを毒に犯します。
人間の思想も同じです。
人間界のヒエラルキーの上流で流された思想毒は、その下流にある人間の思考を犯します。
このことを、皆さんは自覚する必要があります。
なぜ「人間は自然界に不要かもしれない」という発想を持つのかといえば、本来の騰陀は「自然のバランスを保つ」ために存在するのに、現在の人間が「自然界のバランスを壊す」行動をしているからなのです。
いま多くの人間がとっている行動は、上流で流された思想毒に犯されているからに他なりません。
川の下流でいくら掃除をしたところで、上流で毒を流し続けられてしまっては、その川はいつまでもきれいになりません。
それであれば、毒の流れた川を離れ、別のきれいな川の水を飲めばいいのです。
きれいな川を発見した人は、毒の川にいる人に「そっちの水は辛いぞ」と警告し、「こっちの水は甘いぞ」と誘っていることと思います。
しかし、毒には中毒性がありますから、悪いと知りつつも、なかなか離れられないものなのです。また、きれいな川があることは知っていても、行動を起こそうとする人はまだ一握りです。
それでも、きれいな川があることを知らない人と知っている人では、その後の行動は異なってくるかもしれません。
あなたの思想の源流
以上述べたように、東洋思想の立体五行説と六神獣から、人間には「自然界のバランスを保つ」という役割を与えられていることがわかります。
とくに日本人は大自然と共存し、自然そのものを信仰してきた民族ですから、共感してもらえるのではないかと思います。
もし、まだ「人間は地球上にいらない」と思っている人がいるなら、毒の流れた川の水を飲んでいる可能性がありますから、自分の思想の源流をよく観察してみてください。
そして、その源流が危険だと思ったら、別の思想の川を探してみてください。
綺麗な水を飲めば、思考にたまった毒はデトックスされ、精神は健康を取り戻します。
そして、悪いのは人間そのものではなく、川に毒を流すほんの一握りの存在なのだと気付きます。
本来の「人間」の使命をまっとうする行動をとる人から順番に、人間がいかに地球から愛され、自然界から必要とされているのかが、自ずとわかるようになりますよ。
自然哲学は占術の背後にある膨大な理論のひとつです。技法ばかりではなく、根本の理論を知ることで、違った見え方ができるようになります。
根本からしっかり学びたい人は一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。