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不遇な韓非子

韓非子は法家を代表する思想家です。
姓は韓だったので、それに尊敬の子の字をつけるのかと思いきや、それだと文人の韓愈とかぶってしまうため、韓非子と呼ばれるようになりました。

性悪説で知られる荀子の元で学びましたが、そこに居たのは宿敵の李斯でした。

富国強兵と法制の強化を説き、10万言にもおよぶ著作は始皇帝の目にも留まります。
ぜひ、登用したいとも思いましたが、敵である韓の人ですから、それほどの人物がいる韓を恐れ、秦は攻撃を行いました。
講和のための使者としてやってきたのが韓非子でしたが、念のため登用は保留しました。

すでに秦で活躍していた李斯は焦りました。
優秀な韓非子が登用されれば、自分は御役御免となってしまうからです。
そこで、敵国の人間だから信用できないだの黙って返しては敵国に情報が漏れるなどとあることないことを始皇帝に吹き込みました。

最と思い始皇帝は牢屋に入れられてしまいます。
そして、李斯は韓非子に自害を迫りました。

始皇帝は韓非子を牢屋に入れたことを後悔し、使者を送りましたが、時すでに遅し、韓非子は毒によって自害してしまいました。

残念なことですが、氷山の一角と言えるでしょう。
多くの優秀な人が嫉妬などの低い感情の犠牲になっています。
見えない世界のことが分かっている人も一般の方から好奇の目にさらされ、才能を潰されています。
見えない世界のことを磨くのも大事ですが、背景にある理論も併せていくことでロジックもきちんとした見えない世界への研鑽をしてくのが大切です。


これからも良い記事を書いていきます。