平凡のその先へ
蘇秦は外交交渉の経験を鬼谷子としてまとめる上で、交渉はあらゆる手段を尽くして、相手を知り、適切な方法を数ある中から選ぶということを知りました。
苦心の果てに試行錯誤を繰り返した結論というのは意外に平凡だったことに、蘇秦は驚いたことでしょう。
真理というのは平凡なものです。
しかし、人々は単純平凡さというものを軽んじる悪い癖があります。
蘇秦本人は様々なプロセスを経てようやく辿りついたから良かったものの、時代が経て自らの論理を知っても軽んじられてしまうのではないかと考え、自らを幽玄神妙な存在に仕立て上げたのです。
信仰の場が物理的に大変な場所にあえて存在しているのにも、本質的に同じ理由があるのかもしれません。
たしかに、良い場所を選んで聖地というのは見出されるわけですが、必ずしも難所である必要はないはずです。
しかし、有名な聖地というのは山奥だったり孤島だったりと物理的に大変なところにあるのは、やはり、平凡さを軽んじてしまう人間への牽制なのかもしれませんね。
神秘性を持たせるために難しくなってしまったのは残念な部分でもありますが、結局必要なことだったのかもしれません。
人にものを伝えるというのは大変なことですね。
わたしもnoteを書いていてつくづくそう思います。
気というものが体感できましたなんてコメントで頂きますが、あっさりとしていたのか、キョトンした反応も多いです。
ひとつひとつは平凡なことかもしれませんが、見えない世界は積み重ねて段々高度なことをやっていきます。
長い道のりではありますが一緒に頑張りましょう。
これからも良い記事を書いていきます。