見出し画像

邪馬台国と伊勢皇大神宮

卑弥呼は鬼道を用いて国を平和にしていきました。

そんな生活ぶりというものも一部魏志倭人伝には書かれています。

夫はなかったというのはうなずけます。
女性の霊能力が衰えてしまうのを防ぐためでしょう。

唯一身近な男性というのが、身の回りを世話を担当していたわけですが、食事などを準備していました。

そして、食事のほか、卑弥呼の秘書官も行いました。
なぜならば、表向きには弟が政治を行なっていることになっていましたから、卑弥呼の決定や指示を表向きの弟に伝え、弟から卑弥呼へは伺いをたてたりしていました。

また、魏志倭人伝の陳寿が解釈した邪馬台国の宮殿は伊勢皇大神宮や宇佐八幡宮に似ていたとのことです。

伊勢では御霊代として八咫鏡を祀り、内宮には天児屋根命や大玉命は武神として、天照大御神を守護しているという構成でした。
そのために弓と剣も祀られています。

社務所の近くには見える世界での警備員がおり、不届き者を追い出していました。

また、伊勢では機殿を建てて神衣を織り、屯倉をおいて神領としました。
そこには神税を納めさせ、反対による兵乱はことごとく征伐してきました。

卑弥呼厳かなる政治システムであり、平和を気づく見える世界でのやり方でした。
普段の方針の決定については神下ろしを中心とした神事と占術を用いました。
その占断力によって女王として君臨したのです。

見えない世界での神事はもちろん現実的な政治面でも優れたシステムを展開したことで、平和な国を実現しました。
見える世界と見えない世界の両面からのアプローチで良い世界というものはできあがるものです。
見える世界を学ぶチャンスは沢山ありますが見えない世界を学ぶというのはあまり多くないですから、興味のある方はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。