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諸葛亮の敵将調査術

225年のことでした。
中国の諸葛亮は南を攻め、敵将を捕虜にしました。

なんと諸葛亮はその捕虜に陣形を見せたのです。
自らの手口を相手に教えるという信じられないことをしました。

相手もそんな情報を得てしまったわけですから、敵将はこれだけのことを知った以上、次は敗れないと負け惜しみを言いました。
諸葛亮は笑ってこの捕虜を解放したのです。

その捕虜は有言実行とばかりに兵士を集め、再び攻めてきました。
しかし、また敗れてしまい、捕虜となってしまいました。
諸葛亮は再び陣形を見せてあげました。
そして、また同様に釈放してあげたのです。

この捕虜もしつこいもので、何度も攻めては捕まり、陣形を見ては釈放されました。
7度も同じことをしてしまったので、さすがに全くかなわないことが分かりました。
ついに、この捕虜は諸葛亮の元から去ることはなくなりました。
この捕虜こそが後に占領地を一括で統治することになった孟獲です。

諸葛亮が7度の陣形を見せながら釈放し倒してきたのは、孟獲に挫折感を覚えさせるためでした。
将来的に占領地を任せるためには言うことを聞いてくれなければいけませんからね。
そして孟獲にどれだけの実力があるのかということを正確に把握するためにも何度も戦いをする必要がありました。
7度も戦えば実力は分かります。
相手の実力を見極めるために、あえて戦いを挑ませるこれも飛箝の術というわけです。

一見すると情報を教えてしまうということで、本来では考えられないやり方です。
そこまでしてても、相手を従わせ実力を知りたいという目的のために行いました。
これだけの戦略を考えるというのは、いかに難しいかということです。
見えない世界のこともフルに活用し、やっとできるというぐらいでしょう。
現実に生かした見えない世界の力というものに、興味のある方は是非一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。