見出し画像

諸葛亮と孫権

208年に劉備は曹操の大軍から敗退しましたが、孫権をけしかけて曹操と戦わせ、漁夫の利を得ようと考えていました。
孫権を煽るという難しい交渉を任されたのが策士諸葛亮でした。

そもそも、孫権は悩んでいました。
曹操からは降伏せよと使者が訪れていましたし、曹操の大軍を考えれば降伏するべきだという家臣が多数いました。

諸葛亮は孫権に会うわけですが、孫権の勝ち気が強くて気位の高い性格を感じとりました。
諸葛亮はあえて高飛車に振る舞い、陰陽論を踏まえた交渉をしていくのです。

孫権は諸葛亮に対して戦うべきだと思うかと問いかけました。
諸葛亮は、劉備も勝てない相手なのだから、あっさりと降伏するべきでしょうと答えたのです。

孫権はイライラし始めまたが、劉備はどうするのかと問いかけました。
諸葛亮は、劉備は漢室の末裔で優秀な人間だから、負けても人の下にはつきませんと答えたのです。
孫権は激怒しました。
劉備は家柄が良く優秀だから戦うのに、孫権には大軍がいるのだから降伏した方が良いと言われれば誰だって怒るでしょう。

孫権は怒りはしたものの、あらためて冷静に考えました。
劉備が戦いに出るのであれば不本意に曹操に従っている者たちはこちら側につくだろうし、劉備と組むしか曹操には太刀打ちできない諸葛亮との交渉に全てがかかっていたわけです。

孫権は改めて諸葛亮を別室に呼び、曹操と戦う作戦はあるのかと問いただしました。
そして、二人の間で考え出したものが赤壁の戦いです。

曹操の大軍を破り、劉備は漁夫の利として蜀を治めることになりました。

有名な戦いに対して、手を結ぶためにもそのような交渉が行われていたということです。
普通ならあんな態度は取らないものですが、陰陽をもとに交渉したからこそ、戦いにも勝つことができました。
相手を見抜くということと、陰陽の論理に合わせて交渉するという感性と理性の両輪が回ったと言えるでしょう。
見えない世界と占術のための自然哲学を合わせてやると大きな相乗効果がありますね。
興味のある方はぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。