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鬼と神の交錯

かつて、仏教の存在をかけて、物部守屋と蘇我馬子の戦いがありました。
日本の歴史としては、蘇我馬子が勝ち、日本の仏教が本格的に入ってきたことになるのは周知のことでしょう。

そもそも物部が祀っていたのは、モノ、つまり霊魂です。
モノを祀る部の人だから物部氏なわけですが、モノというのは鬼という字を当てています。
物事には二面性というものがあるということの象徴といえるでしょう。

元々、妖怪自体も祀られる存在でした。
禍を封じたり、福をもたらすこともできる存在です。

一部の妖怪は祀られなかったため、物の怪となり、現世利益を与えたり、呪いに使われる様になりました。

蛇妖怪のトウビョウは小さな甕に入れて埋めたのち、祠を建てて極秘で祀ることで富をもたらします。酒好きですから、たまには甕の中にお酒を注ぐ必要がありますが、メリットが大きいですね。

島根にはヒルを助けたことで、ヒルの妖怪にお雑煮を捧げることで家に富を入る様になったという事例もあります。

江戸時代の浅草では生活苦の老婆が家を出ていくことになり、猫を譲渡しました。
しかし、その夜猫が夢に現れ、猫を像にして祀る様にお告げがあったのです。
言われた通りにしたところ、不思議と生活苦から脱することができました。

神社にある若宮というのは、憑き物の妖怪が外に出ない様に建てられたということが多いです。
若宮なんて沢山ありますから、いかに妖怪がこの世界に多いかということを物語っていますね。

見えない世界には良いモノも悪いモノも沢山いることが分かりますね。
どちらにせよ、身近にもいるわけですから、準備は不可欠です。
見えない世界に興味のある方はこれを機に本格的に学んでいきませんか。


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