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陰陽道黎明期

陰陽道は中国から体系的に自然哲学が入ってきて一気に発展するわけです。

とはいえ、それ以前はどうだったのかというと、やはりその前から歴史はあります。

例えば、大和朝廷が日本を統一してから、断片的な思想が入ってくるわけです。
531年の継体天皇の時代くらいまでですね。

この頃は、まだまだ古代的なシャーマニズムが中心でした。
断片的な思想というものも、他国との戦争という関わりによってもたらされたものです。
渡来人との争いも多かったですからね。

やがて、大和朝廷は各地方の豪族との争いに勝ち、統一国家を形成できるように成りました。
たしかに国も豊かになりましたが、そこで政権が課題として捉えたのは、政権を支える思想や呪術的権威でした。

一部の才能のあるシャーマンに頼るだけでは長期的な政権というものでは頼りないです。
そのような権威を補強する理論というものが必要になってきます。

そういうニーズもあり、百済からもたらされはじめた陰陽五行思想というものを日本は活用していくことになるのです。

理論の裏付けも欲しいというのは古代の王たちも同じでした。
現代においてもせっかく見えない世界に対する才能のある人であっても、そういった背景に詳しくないために胡散臭いというレッテルを貼られているケースが散見されています。
わたしは歴史というものを踏まえ見えない世界についてだけではなく、そのような占術理論も並行してやっています。
皆さまもぜひ一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。