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きつい修行はどうなった

密教と言うと思い浮かぶのが山岳修行に代表されるような荒行です。

多くの超人的な偉人たちは厳しい山岳修行を積んでいます。
そればかりが有名になってしまいましたが、密教において荒行というのが本筋の修行というわけではありません

雑密の時代には真言を唱えながらの山岳修行というものが、見えない世界の力を獲得する上で不可欠なものでした。
しかし、それは当時はその方法しか存在しなかったためです。
純密の成立によって、即身成仏の考え方が生まれました。

大日経では密教において宇宙との神秘的な交流が主流となっており、それからはあまり荒行が行われることはなくなりました。

では、その山岳修行のようなものが必要なくなったのかというと、そうではありません。
荒業そのものは前提としておいておくべき前行となったのです。

方法が分からず大変な修行してたっていう時代もありましたが、今は多くのノウハウが共有される便利な時代になりました。
その反面、大事な背景などが抜け落ちてしまうケースも多々ありました。
見えない世界の力を論理的に発信できるように、自然哲学などの理論も含めて学んでいくことが重要になったと言えます。
そのような学びに興味のある方は是非一緒に頑張りましょう。


これからも良い記事を書いていきます。