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科学とスピリチュアルは、離れるべきか一体になるべきか

中国では唐の時代に、占いなどをする人が太卜署に所属し、科学をする人が太史局に所属し、縦割りになったことで、占いから論理的な側面が薄れてしまったということがありました。

それまでは、一緒でした。
このような技術が発展した殷の時代では、自然現象は神の意志によってもたらされていると考えていたため、自然の観察によって、その論理を当てはめて、占いにしていったからです。

天文学が本格的に発達する前に陰陽論や五行論などの考えを打ち出していったのは脅威というより他ありません。
思想が発達し、その後科学的なアプローチで正しかったことが検証され、未だに十二支などが使われているのは、それだけ完璧な暦だったことがうかがいしれます。

科学とスピリチュアルが中国では分離して問題が起こりましたが、日本では分離がそんなに早くありませんでした。
律令制度の中で、暦、占い、天文、陰陽師などの人が中務省の陰陽寮に所属していたからです。

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何でも一緒だったため、十二支などの自然観察によって作られた思想さえも迷信じみたもののように思われてしまったのです。

日本の問題点というのは、こういう思想を自ら生み出したのではなく、中国から学んだだけということです。つまり、詳しい背景は元々日本にはないのです。
凄腕のエンジニアでもない限り、アプリを購入した人がアプリの内部データまで分かっているわけでもないのと同じように、詳しく分からずに使っていた人が多かったために、迷信のように思われてしまったのです。

中身を知らないことで、折角の力を怪しまれ、占いの論理まで怪しまれという風潮が現在まで続いています。
この問題に悩んでいる方は沢山いるのではないでしょうか、また、ここでの解説を基に何かできるようになったとしても、変な目で見られるのを恐れていませんか。
背景の理論もキチンとやることで、そのような誤解を解除するのも活動として行っています。
興味のある方はぜひ一緒に学んでいきませんか。


これからも良い記事を書いていきます。