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【卓球】お気にてるい,まさかの敗戦で滝二レギュラーから外されるー2002年兵庫県総体ー

2002年6月日本では、ワールドカップが開催された。

サッカー日本代表は、予選リーグ初戦のベルギー戦で引き分け、2戦目のロシア戦に勝利、3戦目のチュニジア戦にも勝利し、予選リーグ突破。

決勝トーナメントで、トルコに惜しくも負けたが、初のベスト16入りを果たした。

そんな日本中がサッカー一色だった中、僕は1試合も日本代表の試合をテレビの前でじっくり見ることが出来なかった。


答えはシンプル、練習があるからだ。

ベルギー戦は、母親からのメールで結果を知った。「日本ベルギーに引き分けたらしいで!」と皆に伝えた記憶がある。

ロシア戦は20:30キックオフだった為、途中から見たかもしれない。

チュニジア戦は、記憶にない。

トルコ戦は、学校の体育館が使えない日で、近くの西体育館で練習していた。ロビーにテレビがあったので、ちょくちょくテレビを見ながら、練習した記憶がある。

三都主のFKがクロスバーに当たって、「あー!!!」と他の利用客の方と言ったような言ってないような。


そして、6月はインターハイ予選である兵庫県総体が開催された。検索すると結果は出てきたのだが、日程が書いていない。昔の卓球王国を引っ張り出し調べると、6月7日(金)~9日(日)に開催されたようだ。

ロシア戦は、9日だったので、恐らく試合後に帰宅して見たのだろう。


兵庫県総体は、まず団体戦から始まったと思う。

前回の記事でも書いたが、僕は期待の1年生だったので、4番手で神戸市総体の決勝戦に出て、きっちり勝利している。


期待の1年生というのは、少し綺麗な言い方で、よく言われるのが、お気にだ。

お気にというのは、お気に入りのことで、つまり監督のお気に入りかどうかということだ。

このお気にと言うのは、皮肉の意味が大いに込められており、プラス評価として使われることは無い。大抵は、「あいつ、監督のお気にやから使われんねん」という感じだ。

「お気にと言われるのは、嫌だ!」という人もいるかもしれないが、僕は特に気にしていなかった。気に入られているだけで、少し優遇されるなんてプラスでしかない。

大人になっても、会社の上司だけでなく、人には気に入られている方がプラス、と考えている。


僕は子供の頃から、自分の実力を客観的に見ており、当時の滝二での立ち位置としては、こんな感じだ。

「部内でまだ勝てないのは、エースの藤本雄大さんだけ。次に勝つか負けるかが植本剛さん。でもありがたいことに剛さんはレギュラーでない。(剛さんごめんなさい!)2・3番手の、西田光宏さんと岡田真治さんには勝てる。実際に神戸市総体でも勝てたし。上西さんや他の1・2年生にも勝てる。」

つまり、部内リーグをやれば、2位か3位になれると思っていた。(実際に部内リーグをやった記憶はない。)

しかし、対外的な実力で考えると、藤本、西田、岡田、上西が強いと思っていたので、「俺は上西さんよりも、お気にだから使ってもらっているんだな」と理解していたのだ。

対外的な実力と言うのは、練習試合での結果である。

関西、近大福山、杜若、等々。このあたりの全国中堅レベルのレギュラーと練習試合をした時に、先輩方と比べて、僕の勝率は悪かった。


早速だが、兵庫県総体団体戦の結果はこちら。

図1


神戸市総体では、決勝戦からというウルトラスーパーシードだったが、兵庫県総体では、通常のシードだ。

もちろん滝二は第1シードなのだが、よく見ると、3回戦の尼崎産業戦で1点落としている。

18年前の記憶を探ってみると、多分、誰かが土田君に負けたような、、、

恐らく、前半で藤本雄大さんが負けたのじゃないだろうか。覚えている方がいたら教えて欲しい。


そして次の4回戦。ベスト8決定戦の兵庫高校戦でも1点落としている。(なんて取りこぼしの多いチームなんだ。)

この兵庫高校戦での敗戦こそ、お気にてるい、まさかの敗戦である。

前半、1番か2番で、ペン表の方の畑君に負けた。畑君は、双子だったか、兄弟だったかで、畑・畑ペアが兵庫高校を引っ張っていた。(こちらも分かる方教えて下さい。)

試合は、畑君の表のブロックにはまり、どうにもこうにもならず、負けてしまった記憶がある。

畑君は、滝二相手なので、テンションマックスで向かってきて、勝ちそうになるにつれて、テンションフルマックスになっていった。

相手のフルテンションと、ナックルを活かした地味なプレーのキャップに、混乱してしまったのか。15歳の照井少年は、この局面を打破する実力を持っていなかった。


負けた直後は、「あー負けてもた。これで試合出られないだろうなー」と冷静に思った記憶がある。

2試合連続で失点という、不甲斐ないチームに雷が落ちてもおかしくないが、当時ベンチに入っていた、鯛中先生(1年後に滝川高校へ赴任となる)と、松尾先生に怒られたような記憶はない。

それも、僕がお気にだったからなのか、怒る必要がないと判断したのか、真相は分からない。


準々決勝以降は、僕の代わりに上西さんが起用され、全て3-0の勝利で優勝。

その後、近畿総体、インターハイと、藤本、西田、岡田、上西というメンバーで戦い、僕の出番は一度もなかった。

上西さんについてはこちら↓


もし、畑君にきっちり勝利していたら、そのままレギュラーで起用されていただろう。そうなると、1年生からの経験値が増して、もっと強くなっていた可能性はある。

安定して勝てるようになるには、技術は当たり前で、経験が必要となる。1年生から、近畿、全国のプレッシャーのかかる場面。特に団体戦を経験出来るがどうかは大きな違いがあると思っている。

しかし、対外的な実力は、上西さんに劣ると思っていたので、チーム戦力的には、僕が出るのは微妙なところだ。


ちなみに、レギュラーは、藤本、西田、岡田が3年。上西が2年というメンバー構成。何が言いたいかというと、圧倒的に3年生頼みのチームだったということだ。

インターハイが終了し、キャプテン井本さんへの代交代が行われた際、「こ、これは、まずいぞ、、、」と不安に思ったのを強烈に覚えている。

それについてもまたいつか書きたいと思っている。



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