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「スローカーブを、もう一球」は、自分のアイデンティティだったと気づいたはなし

休日の土曜日。目覚めてスマホを見ると先輩から写真が送られていた。その写真は僕が一番好きな本、山際淳司の「スローカーブを、もう一球」だった。

この写真で理解した。以前一番好きな本の話になり、先輩は覚えていてその本をわざわざブックオフ(恐らく)で探してくれて買ってくれたのだ。僕は紹介されたりおススメされたりした本や音楽を実際に読んだり聞いたりして、次回その感想を言ってくれる人は、大好きであり尊敬している。

先輩が嬉しい行動を取ってくれたならば、僕もそれに応えるのがマナーである。なので早速本棚から、スローカーブを、もう一球 を取り出し、一気に読んだ。本には付箋が貼ってあり、これは5年前?の27時間卓球をした際、ネタ切れになったら好きな本を紹介しようと思い、メモとして貼っていた付箋だ。

5年振りに読んだら今までと全く違う感想を持った。これがピース又吉が言っていた、好きな本は何度読んでも新しい感想を持つから面白いということか!と思いつつ、先輩にLINEを返した。

「気付きました。この本は僕のアイデンティティになっています」


ここでスローカーブを、もう一球を簡単に紹介する。この紹介の為に、読み返さず、さっき読んだ記憶を頼りに書きたいと思う。

舞台は1980年。主人公は群馬の高崎高校の野球部のピッチャー。身長173㎝体重67㎏。体型かわかるように野球エリートではなく、なんなら少しぽっちゃりしている。中学時代は軟式野球をやっていてアンダースローだった。高校に入りオーバースローにするも、アンダースローの癖が残っている為、横手投げみたいなフォームの変則型投手。得意球は60~70㎞の超スローカーブ。ランニングは嫌いで、自分の実力と高校野球のレベルを客観的に把握しており、マッチョに努力をする野球エリートたちを自分を全く別の世界に生きる人間と思い、その努力を小馬鹿にしながら巧みな投球術で適度に抑えていく。この主人公を中心に、野球経験のない監督率いる強豪校ではない学校が、予想外にあれよあれよと勝ち上がり、春のセンバツ甲子園の切符を掴み、関東大会決勝まで勝ち進む様子を描いている。ラストは関東大会決勝、印旛高校に惜しくも負けてしまうのだが、ラストはあえて終盤の逆転される場面の前に時計の針を戻し、主人公がスローカーブを投げようとした場面で終わる。


5年振りに読んで思ったのが、高校時代の自分そのままじゃないかと。高校時代だけでなく今の自分にも当てはまる部分が多々ある。僕は中学時代にふと父親の本棚から見つけて読んだこの本に気付かないうちに猛烈に影響を受け、高校時代は卓球を頑張り、今の僕が形成されたのだと思った。

読んでいて正直気持ち悪くなった。今、ハライチ岩井が大好きで影響を受けるレベルでなく、半端ない影響を受けていることに気付いたからだ。今まで何回も読んだことはあるが、今回初めてこのような感想をなぜ持ったのかはわからない。わからないと書きつつ、なんとなくは分かるような気がするのだが、うまく言語化出来ないので、ここでは追及しないでおこう。

今回読んで、影響を受けているなと感じている部分を書き残しておきたいと思う。数年後に読んだら違う感想を持っているかもしれないので、比較してみるのも楽しみだ。


自分の実力と高校野球のレベルを客観的に把握できている
主人公は自分が投げられるボール、チームの実力を客観的に把握出来ていて、そのなかで工夫しながら相手と対戦している。高校野球もある程度のレベルまでならば、ここまでをきっちり抑えておけば打ち込まれることは無いことを分かっており、それで打たれたら仕方ないと思っている。

僕も中学くらいから自分の実力と今後の成長度合いをなんとなくイメージしながら卓球をしていた。なので全国優勝したいです!みたいなバカげたことは絶対に言わないし出来ないと思っていた。中1時点でイメージできる最高の成長レベルで上手くなれば、全国大会でランク入り、最高でベスト8くらいなイメージをしていたが、結果的に中3で全国中学校大会で2回戦負けだったので、高校では最高に成長して全国ベスト16位だと思っていた。しかし,、イメージを越える成長で、近畿チャンピオン、全日本ジュニアベスト8になったのには自分でもびっくりした。

高校に入学してから、初めて毎日卓球の練習をするようになり、色んな学校と試合や練習試合をすることが出来た。そこで全国のおおよそのレベルを把握することができ、今の実力だと、このあたり、上手くいけばここにも勝てる、みたいな物差しを持つことが出来たと思う。その物差しを持ちながら試合や練習試合で自分の実力を確認していった。

僕は小学生以来試合で泣いたことは無いと思う。小学生の時は感情をコントロール出来ず泣くしかなかったのだと思うのだが、いつも自分の実力と相手の実力を把握しながら試合をしていたので、自分より強い相手に負けたら仕方ないと思っていたし、実力を出せずに自分より弱い相手に負けたら死ぬほど悔しかったけど泣くことは無かった。

なので、高校生になってから甲子園をテレビで見ることが出来なくなってしまった。見る時間が無いのもあるのだが、試合に負けて号泣しながら甲子園の土を持って帰る球児たちを「いやいや、そんな号泣する程お前たちは死ぬほど努力してきたのか?一日も欠かさずに100%を出し切って練習してきたのか?きっと相手の方が小さい頃からお前たちよりも努力して頑張ってきたんだからしょうがないやろうが。泣く前に死ぬほど努力しろよな、マジでダサいな。」と高校時代は本気で思っていたのだ。

今では球児が泣く理由は分かる。それは甲子園という特別な舞台であり、負けたら号泣しながら甲子園の土を持って帰ると言うのが基本なのだ。球児たちは優勝したらマウンドに集まって指を天に指し、負けたら号泣しながら土を持って帰るのを甲子園で戦う前から刷り込まれイメージしている。実際にその場面になったら、イメージ通りの行動をしているだけなのだ。なのであの行動には球児たちの意志は全く無いと思っている。プロ野球選手で悔しくて土を持って帰らなかったという話を聞くと、その選手は自分を持っててカッコいいなと思う。


少し1個目で熱く書き過ぎたのでここからは、共感できる部分をコンパクトに書きたいと思う。

超スローカーブを活用する
主人公は超スローカーブを有効に使い、タイミングを外しながら相手打線を抑えていく。しかも、高校野球の一定のレベルまでは、これでなんとか通用することを知っている。つまり、正統派ではないということだ。

僕も高校時代は当時の正統派でないプレースタイルで戦い結果を出せた。しかし、超高校級の青森山田、仙台育英には敵わないことは体感していた。


野球エリートを小馬鹿にしている
主人公は野球エリートで普通の自分を比較し、そのレベル差や特徴を上手く利用して相手を抑えいてる。

僕も「こいつらは俺よりも小さい頃から努力して、今も強い相手と良い環境で練習をしているのに、俺に負けたら卓球の才能ないよな」とある意味舐めながら試合をしていた。元々自分より強い相手に勝つにはこれくらいのメンタルでないと一生勝てないと思っている。


相手心理をよく観察している
主人公は冷静に相手の心理を読みつつ、時には相手をおちょくりながら、それをピッチングに活かしている。

相手を観察しながら試合をするというのはとても大事で僕は心理状態までは見抜くことはなかなか出来なかったが、調子が良いと相手を見ながら戦術を変えることは出来た。他にも名門校だと決まったパターンがあるので、それを狙ったりして勝利したことはある。


名門校と自分は違うと思っている
主人公はあくまで自分は普通だと思っており、名門校はすごいと思っているが自分はそうなりたくないと思っている。つまりブレない自分を持っている。

僕の出身校滝川第二高校は、兵庫県では一番だが、週に2回は体育館が使えずに、区の体育館で練習していたし、体育館はバレー部バスケ部と一緒に練習をしていたし、全国の名門校はもっと良い環境で練習していたし、滝川第二でも野球部とサッカー部はグラウンドで専有して練習していた。ここで人生で初めてヒエラルキーというものを痛感し、より名門校、メジャースポーツとの違いを痛感した。


なんだか書いていて一気にモチベーションが低くなったので、このあたりで終了したいと思う。この本は野球経験のない監督の話もあったり、予想外に勝ち上がり宿泊費を工面しないといけないとあたふたする校長先生のエピソードがあったりと、とてもリアルで頭でイメージしやすく書かれている。

山際順司と言う作家は、とても細かい描写が書かれており、中学生の僕でも容易にその情景をイメージすることができた。どの本もとても面白く、学生時代はブックオフに行く度に、まず100円コーナーで、や行 から探していくほどだったのを思い出した。


最後に、先日「何歳くらいの時が一番楽しかった?」という話になり、「卓球なら高校、人生なら社会人1年目」と答えた。その時は当時の話をして面白かったのだが、数日後めちゃくちゃダサくてカッコ悪いなと思い悲しくなった。

スラムダンクの桜木花道ではないが、「オヤジの栄光時代はいつだよ…全日本の時か?」「オレは今なんだよ!!」ということを言えないと楽しくないよなーと思い、生きていきたいなと思って今週の話でした。




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