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夏休みの卓球教室の苦い思い出

小学3年生の夏休み、母親が申し込んだ、近くのスポーツセンターの卓球教室に行っていた。恐らく、週1回×4回、夏休み中に終わる感じだったと思う。


その数か月前に、僕は卓球を習い始めていた。とある日、父親から「そろそろ野球かサッカーするか?」と言われた。当時はJリーグブームで、プロ野球の人気もすごかった時期だ。僕は「んーしないかな」と回答。

すると父親は「じゃあ卓球するか?」と聞かれ「んーやってみようかな」ということで、卓球を習うことが決まった。

普通の家庭であれば、野球サッカーの後に、卓球は出ないのだが、両親は大学まで卓球をしており、父親は、社会人になってから、美しが丘クラブで卓球をしていた。そう、てるい家は、親子二代で美しが丘クラブにお世話になっているのだ。

そして、僕が卓球を習い始めたのは、名門の日産卓球スクール(日産ジュニア)だった。当時、父親は神奈川大学のコーチで、神大の学生が日産ジュニアでコーチをしていた関係で、そこで習い始めたのだ。

週1回、新子安のスクールで練習をする。名門チームであれば、順調に上手くなったと思いきや、その成長速度は亀のようだった。

結局、半年以上経っても、マシン練習で30球ノーミスでフォアハンドを成功することが出来なかった気がする。

マシン練習ですよ!ラケットさえ置いておけば勝手に返球出来るのに、それでさえ返球出来ないというのは、僕のレベルが分かると思う。


そんなレベルで、夏休みのスポーツセンターの卓球教室に通った、小学3年生の夏休み。

先生はおばさんだった。今思えば、横浜のママさんプレーヤーだったのだろう。ラケットでの球突きから、基本のフォアハンド、バックハンドを習ったような気がする。

そりゃ、いくら僕の成長度が亀レベルであっても、他の初心者の子と比較すると上手い。

そして、球突きだけは抜群に上手かった。なぜか永遠に球突き出来ると思っていたので、全員で球突き大会すれば、制限時間まで余裕で球突きをすることが出来ていた。

そんな中で、最後の週は試合をすることになった。その週になって初めて、先生に「あなた上手ね、卓球習っているの?」と聞かれた。

「はい」

「どこで習っているの?」

「日産です」

「あら名門クラブじゃない。じゃあ3・4年生としても試合しても面白くないわね。5・6年生のグループに入れてあげるわ」

と先生は、勝手に僕を中学年から高学年グループに移動させたのだ。

「え、え?なんでそうなるの?僕、そんな上手くないよ?」と心では思っても、先生には言えず。

そのまま試合をすると、僕は余裕で、初心者のお兄さんお姉さん達に全敗した。

先生からはフォローの言葉ももらえず。

勝手に高学年と試合させられて、打ち砕かれた僕に対して、この仕打ちはひどいと思っている。

そして、さらにショックだったのは、順位によって賞品があったのだ。記憶には無いが上位には「羨ましいなー」と思うような賞品がもらえたのだ。

最下位の僕は参加賞で細長い箱をもらった。開けてみると、ペンが入っていた。「なんだペンか」と思っていたら、シャーペンでもボールペンでもなく、染み消しペンのような、小学生に全く使い道のないペンであった。

「なんだよこれ、ひどすぎるだろ!3・4年生の部であれば、優勝できそうだったのに、、、」


この時、小学3年生の僕は、正直に伝えて良い時と、なんとなくごまかした方が良い時があるんだな、と学んだのであった。



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