まちなかで僕の移動をサポートしてくれた様々な人たち

日本で僕が一人で外出したとき、いろんな人に声をかけられたり、自分から声をかけたりして、移動のサポートをしてもらいました。

例えば、僕が駅の階段を降りていたときに声をかけてくれた婦人は、慣れない緊張のせいか、膝がガクガクと震えていました。本当はサポートの体制としては間違っているのですが、その婦人と僕は腕を組んで階段を降りていました。ずっと膝が震えていたので、ちょっと危ないなと思っていたら、案の定、その婦人は階段を踏み外しました。そのとき、ラッキーなことに腕を組んでいた僕は、腕に力を入れて婦人を支えました。その婦人は憎めない感じの人柄の良い人でした。

ときどき、小学生がサポートしてくれたこともありました。移動しながら二言三言言葉をかわすと、体の大きさは子供なのに、精神年齢が成熟していることに驚きました。僕があの年齢のときに同じことは絶対にできなかっただおるな。

サポートしてくれた人とは、移動しながら言葉を交わすことが多いのですが、その結果連絡先を交換したことが度々ありした。ある人には、引越し前に子供の自転車をもらってもらいました。ある人は出版社に努めている人だったので、出版の企画書を見てもらいました。ある人は僕と同じ目の病気を持っていて、後日スタバでお互いの状況を共有しました。ある人は同じマンションの人で、一緒に食事をしたり出かけたりしました。出会った人と色々話をして仲良くなれるのは、きっと僕の才能だと思います。

またあるときは、電車の中でサポートしてくれた六本木風の男性が、僕に「目が見えないってヘビーだよね」と言いました。あの一言は、結構心にしみました。

別のときに駅のホームでサポートしてくれた占い師風の女性は、僕が「ここまでで大丈夫です、ありがとうございました」と言ったあともしばらく僕の目を見つめてました。僕にはよく見えなかったけど、雰囲気が多分そんな感じでした。あのとき僕はどうすればよかったのだろう。

全然関係ないのですが、奈良の近鉄特急に座っていたとき、隣に座っていたおばちゃんが僕に話しかけてきたのを思い出しました。「私、にんにく臭いでしょう?よかったら、飴をどうぞ」と僕に飴を差し出してきました。快くいただきましたが、もしおばちゃんがにんにく臭いのなら、飴を食べるべきはおばちゃんの方では・・・。ちなみに、おばちゃんからにんにくの臭いはしていなかったです。

話が脱線してしまいました。

友達に、「街でひどい目にあったこととか、例えば罵声を浴びせられたこととかある?」と聞かれたことがあります。妊婦さんがまちなかでひどいことを言われることがあるように、視覚障害者も何か言われるのでは?というイメージがあったのだと思います。少なくとも僕にはそういう経験はないです。声をかけたのに無視されたりしたことはたびたびありますが、それにへこたれていたら視覚障害者をやっていけません。

通勤で同じルートを毎日使っていたとき、毎日同じ警備員さんにサポートしてもらっていました。間がもたないこともあるのですが、その人とよく世間話をしました。その方の仕事の内容とか、待遇のこととか、休憩時間の過ごし方、趣味など雑談しました。通勤ルートが変わってその人に会わなくなると、久々にそこを通ったときに「あの人いるかな?」なんて思ったりしました。僕の頭の中には、「あの場所のあの人」が僕のよく利用するルートに点在していて、それが僕にとってのちょっとしたセーフティーネットになっていたりしました。

最近、セブでも「あそこのあの人」が増えてきました。結果、僕のセブでの生活は、物理的にも気持ち的にもだいぶラクになってきました。

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