目が見えないことであきらめていること

僕は視野が狭いという状態の弱視です。この文章は、目で見て書いています。全盲ではないのですが、目が見えないことであきらめていることってなんだろうと考えてみました。

ないものねだり感が出ず、ひがみでもなくを意識して書いてみます。が、そんな感じになっていても、それはそれでリアルということかなと思います。

普段、「自分にないもの」ではなく、「自分にあるもの」を意識するようにしています。とは言え、「自分にないもの」はやっぱり気になります。考えてみると、次のようなことが浮かんできました。

車、バイク、自転車に乗りたい

小さい頃は自転車でいろんなところに行ったりしてました。風を切る感覚、懐かしいです。タンデムという前後二人乗りの自転車であれば、今でも自転車に乗ることができます。立川の昭和記念公園ではタンデム自転車を借りることができます。

車に関しては、以前、視覚障害者向けにツインリンクもてぎにて、運転を体験できるツアーがありました。残念ながら予定が合わず参加できませんでしたが、全くできないこともないというのはありがたいです。

以前、遊園地のゴーカートなら運転できるかもと思い、載ってみました。しかし、レーンが見えないとうまくハンドルを切れず、止まってばかりでいやな汗をかきました。あれは苦い経験でした。

何かを見て一緒に同時に感動したい

テレビ、映画、動画、写真、景色、史跡など、目でパッと見てみんなと一緒に一喜一憂してみたいです。あとから説明してもらうことで状況を理解することはできるのですが、タイムラグが「取り残され感」を生みます。かと、周りの人が悪いわけでもないです。こういうのはなかなかやるせないです。目が見える人たちと同じタイミングで一緒にワイワイ、ギャーギャーしたいです。

子供に絵本を読みたい

子供に絵本を読み聞かせている時間って、すごい豊かで幸せな時間だと思うんです。妻が子供たちに絵本を読んでいる時間に対して、なんとも言えない感動があります。子供たちが絵本の世界に入り込んでいく様子が、純粋無垢に感じられるからかもしれません。僕も絵本の文章を覚えれば、読み聞かせができそうです。文章が簡単な絵本、例えば「いいおかお」とか、読み聞かせてました。でも、絵本の代わりに僕がしていることは、おとぎ話を創作して聞かせたり、自分の子供の頃の話を聞かせたりすることです。お話の中にうんちを登場させれば、子供たちは一発で喜びます(笑)。

普通のことがしてみたい

これを言ったら全部そうだろうという感じですが、普通のことをしてみたいです。コンビニでのバイト、カフェの店員、白杖を持たずに出歩く、走ったり散歩したりする、目で見てご飯を楽しむなど。こうして書いてみると、いろいろあるものだなと思います。目が見える人の生き方と目が見えない人の生き方は、種類の違う人生だと感じます。

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