自分に与えられた条件でどう生きるか

人はそれぞれ境遇が異なります。両親、兄弟姉妹の有無、経済状況もそうですし、体の大きさや特徴も異なります。それはときに不公平に感じることかもしれません。ある人は裕福な家に生まれ、ある人は貧しい家に生まれます。健康な体を与えられた人とハンディキャップを与えられた人がいます。

人生は不公平なものです。むしろ、全員が公平だったら変です。でも、100人中99人に与えられているものが自分にはない場合、不公平だと感じやすいのではないでしょうか。私の場合、数万人に一人を言われる進行性の目の病気があり、数百人に一人と言われる身体障害者となっています。「みんなにはあるのに、自分にはない」という気持ちになりやすいです。または、「できるはずのことができない」という気持ちとか。

トランプのポーカーでは、自分に5枚のカードが配られます。その5枚のカードの内容は人によって違います。いろいろ揃っている人も居れば、何も揃っていない人もいます。それを嘆いていても仕方ありません。他人の人生と自分の人生を変えることはできません。

なぜか人はネガティブなものに惹かれる傾向があるようです。自分のダメなところや他人の失敗など。「あるもの」よりも「ないもの」が気になりますし、「できること」よりも「できないこと」が気になってしまいます。ネガティブな視点に立つと、「ないもの」だらけのように感じてしまいます。「できないこと」ばかりのように感じてしまいます。

ポジティブな視点を持てば、「あるもの」はたくさんあります。「できること」もたくさんあります。「ないもの」を嘆く時間とエネルギーを、「あるもの」を探すエネルギーに充てると、自分にはたくさんのものが与えられていることに気付きます。「ないもの」に囚われて時間とエネルギーを消費することによって、自分に「あるもの」をどんどん失っていってしまうのです。

目が見えない。でも、たくさんのことができる。文章が書ける。話すことができる。家族が居る。ご飯をおいしく食べることができる。そして、自分の人生を作っていくことができる。この瞬間、瞬間も、感じること、考えること、行動することのひとつひとつを自分で選択できます。これほどありがたいことはありません。これはとても幸せなことです。

与えられた条件の違いは、人生を楽しむための仕掛けだと思います。ロールプレイングゲームで最初からすべての装備が整っていて、レベルがMAXで、すべてのモンスターが存在しなかったら、何をしたらいいのでしょうか。条件の違いは、人生に面白みを与えます。できないことがあるというのは、考え方にバリエーションを与え、深みを与えます。

人生の不公平を認め、受け入れ、その中で楽しむことが、人それぞれに与えられた使命だと思います。



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