障害者手帳を持つことの抵抗感とは?

先日、目の不自由な方からご相談がありました。障害者手帳を持つかどうか迷われていました。視力を伺ったところ、最も程度の軽い6級相当でした。しかし、蓋を開けてみたら視野障害の2級でした。1級は最も程度が重いので、その1つ手前です。かく言う僕も視野障害の2級です。視野の広さは自分でなかなか判断しづらく、病院で検査しないと正確なところがわかりません。

この方は、視野障害2級という状態であるにも関わらず、できることなら目が不自由であることを隠しておきたいと話されていました。それは、目が不自由であることをオープンにしたら、今請けている仕事がなくなって生活に困るからということでした。しかし、すでに仕事の上で支障が出ているそうで、「隠さずに仕事をしてみては?」というのが僕の提案でした。

「障害者手帳を持つ」=「障害者になる」と考え、さらに、「障害者になる」=「仕事がなくなる」という図式があったようです。そのため、「障害者手帳を持つ」ことに抵抗を示されていました。でも、持った上でそれをどう使うかは自分次第なので、持っておいて損はないということで取得を提案しました。

さて、体が不自由でも「障害者手帳を持つこと」に抵抗がある方は多いです。その抵抗感の正体は何でしょうか?それは、「障害者手帳を持つこと」または「障害者になること」を自分の中でどう定義しているかによります。

それは例えば、弱者、負け組、依存、みじめ、みすぼらしい、汚い、暗いといったような言葉になると思います。これらの言葉を自分に定義付けるとしたら、障害者手帳を持つことに抵抗があるのは当然です。しかし、この定義付けは事実ではありません。これらの思い込みや信じ込みは、自分をおとしめるワナです。

障害者手帳を持つ前と持った後とで違うのは、障害者手帳が手の上に乗っているか乗っていないかだけです。その前後でその人の価値が変わるわけがありません。事実ではない思い込みにはまってしまってはいけません。障害者手帳を持つとき、持ったとき、いろいろな感情が湧き上がってくると思います。もし気持ちがネガティブな方に傾いてたら、「そんなことないぞ!」って、自分で自分に言ってもらえたらと思います。

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