身体障害者と健常者が互いに自立するためにできること

健常者と身体障害者で夫婦やパートナー、親子の場合、精神的な癒着が生じることがあります。身体に障害があると、ついつい物理的なサポート以上に心の面でのサポートも身近な健常者に求めてしまいがちです。健常者の側も、それを見過ごすことが出来ず、負担があるとは感じつつも必要以上のサポートをしてしまうことがあります。

例えば私のように視覚に障害のある人の場合、外出する際に健常者の肩や肘に触れながら歩くことで、移動がスムーズになります。これは物理的なサポートです。しかし、視覚に障害があっても、白杖を使って移動する練習をすれば一人で外出することは可能です。

視覚に障害がある人が「肩を貸してほしい」と健常者に頼み、健常者の側もサポートすることに負担がない場合、2人で移動することは何ら問題はありません。

一方、視覚に障害がある人が健常者に常に移動のサポートをしてもらっていると、視覚に障害がある人はサポートしてもらうことがどんどん当たり前のことになって、自ら一人で行動しようとすることがなくなってしまいます。健常者の側も、「大変そうだから」とか、「かわいそうだから」とか、「自分がサポートしてあげなければ」と考え、見過ごしたり、突き放したりすることがなかなかできません。

このように、身体障害者側が身体の不自由さからくる精神的負担や努力を避け、身近な健常者に甘えでサポートを頼んでしまう。健常者の側もそれを受け入れてしまう、これが精神的に癒着している状態です。この状態では、健常者が障害者に合わせて生活することが多いので、健常者の日常生活にも不自由さが生じてしまいます。

この精神的な癒着を解消するためには、双方がこれまでと異なる行動をとる必要があります。健常者の側は、なんでも障害者のサポートをするのではなく、一人でもできることや他の人に頼めばできることは断ることが大切です。実は「負担がある」と感じていることを自分で認め、相手に一度伝えることができるとより良いと思います。障害者に「あなたをサポートすることは私にとって負担があります」と伝えるのは、健常者にとってもっとも心苦しいところです。しかし、その気持ちを障害者に伝え、お互いに共有することで、実は伝える前よりも気持ちがラクになる可能性があります。なぜなら、障害者の側も、薄々その事実を感じているからです。健常者にとって負担があることを障害者に伝えると、喧嘩になったりすることもあるかもしれません。それでも、これまでのあり方を一度壊して再構築できれば、お互いに精神的に自立した関係性を作ることができます。

一方、障害者の側からすると、大変だとしても一人でできることは一人でやる努力が必要です。でなければ、健常者に頼らなければひとつひとつの行動ができないだけでなく、自分でなんとかしようとする意志や大変なことでもめげずに取り組む強さがどんどん失われていきます。身体に障害があることによってもっとも大変なのは、物理的にできないことがあることや健常者と同じように行動できないことではなく、気持ちがくじけてしまいそうになったり、自分が劣っているように感じて落ち込んだりしてしまうことです。一人で行動すれば、その精神的なツラさがぶり返してきてしまうので、ついついできるはずのことでもサポートをお願いしてしまいます。一人で行動すると、遅かったり、失敗したり、ときに怪我をしたりして、こんなみじめな気持ちを味わいたくないと感じるのです。そのツラい気持ちと上手に付き合えれば、健常者に必要以上に依存することがなくなります。

どうすれば障害者がネガティブな感情と上手に付き合えるかについては、改めて書きます。


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