善意を自由に表現してもいいという風潮を広めていきませんか?

人前で善意を素直に表現することを恥ずかしく感じる人がいます。ワルがかっこいいというか、不良に憧れるというか。そういう心理、自分にもあります。斜に構えたり、素直になれなかったり、そんなことってありませんか。

どうして、自分の中にある道徳心を人前で表現することが恥ずかしいと感じるようになってしまったのでしょうか。おそらく子供時代の原体験が原因になっています。良いことをしたときにたいして褒められなかったり、悪いことをしたときの方が親からの注目を得られたり。良いことをしたつもりが、相手には喜ばれなかったり。学校でも、正しいことをした友達が逆に冷やかされてるのを見かけたり。正しいことをしようとしたときに思い出されるネガティブなイメージがあまりにも多い。

例えば街なかで僕に声をかけようとしてくれる人にとっても、そんなネガティブな原体験の多くが向かい風となってその人に吹き付けます。良いとか悪いとかではなく、そんな向かい風を突破して声をかけてくれる人と、向かい風に流される人がいるのではと想像します。

どんな人の中にも善意と悪意があります。人の心の中には、良いことや正しいことをしたいという気持ちと、悪いことや間違っていることをしたいという気持ちの両方があります。その割合は、50%・50%の人もいれば、30%・70%の人、70%・30%の人もいます。この数値は、本人の元々の資質、生まれ育った環境、現在の人間関係に影響されます。

このようにどんな人にも善意がありますが、善意を表現しないでいると、善意が悪意に変わってしまいます。しかも、善意よりも悪意の方が表現しやすいだけに厄介です。自分の中にある善意を何らかの形で表に出してあげないと、それがストレスになり、くしゃくしゃした気持ちやもやもやした気持ちが他人へ向かってしまいます。家族に対してちょっと悪口を言ってしまったり、SNSで他人を批判したり、会社への悪口を言ったり。そうこうしている内にまずます自分の中の善意を表現しづらくなってしまいます。

誰も本当は悪い人になりたいとは思っていません。震災のときに多くの人がお互いを気遣って行動していたように、本当はみんなお互いに声を掛け合いたいし助け合いたいのです。ただ、自分の中にある善意をどう表現していいかわからないのだと思います。普段おとなしい日本人がハロウィンのときにはしゃぐのは、「はしゃいでもいい」という風潮があるからです。日本テレビの24時間テレビでたくさんの寄付が集まるのは、「善意を表現してもいい」という空気があるからだと思います。

では、24時間テレビが放送されていないときに、自分の中にある善意をどう表現していけばいいのでしょうか。まずはひと目につかないところでこっそり寄付をしてはどうでしょうか。クラウドファンディングにしろ寄付にしろ、今はインターネットでできるので簡単です。善意や道徳心に栄養を与えるために、小さなことから始めてみましょう。コンビニやカフェで店員さんにあいさつをしてみるとか、部屋をきれいに掃除するとか、他の人がきれいな処品が取れるように自分は一番手前の商品を買うとか。そういえば、うちの子供たちがスーパーで探検をして、間違ったりぐちゃぐちゃになったりしている陳列をなおして回ってました。子供ならではですね。

善意を表現することに慣れていくと、人前で表現する勇気が湧いてきますし、一度できると次はもっと簡単にできるようになります。それを見た周りの人が「今度は自分も」と思うかもしれません。「善意を自由に表現してもいい」という風潮を、自分発で作っていきませんか。そんな人が増えたら、いつの間にかその社会が実現していると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?