なぜ声かけサポート運動はうまくいかないのか

近頃、「体の不自由な方にお声がけをしましょう」というアナウンスを駅構内でよく耳にします。この効果なのか別の理由からなのか、実際に前よりも声をかけてもらえるようになったと話す障害者は多いです。

一方で、自分は視覚障害の当事者ですが、このアナウンスがもたらすマイナスの側面も感じています。ちょっと細かい話かもしれませんが。

そもそも、駅で困っている人を見かけたときに声をかけた方がいいという知識はみんな持っています。「困っている人を見かけたら助けましょう」というのは、どの学校の先生もどの家庭の親も子供たちに言っています。「困っている人を見かけても放っておきましょう」とは誰も言われたことがないはずです。そのため、アナウンスで言われていることはすでにみんな知っているし、声をかけようという意思は多かれ少なかれみんな持っています。

人間は、自分でやろうと思っていたときに他人からその行動を喚起されると、げんなりしてしまいます。子供の頃にこんな経験をしたことはありませんか。宿題をやろうと思っていたときに母親に「宿題やりなさい」と言われて、やる気をなくしたことが。声かけサポート運動のアナウンスにも同じ匂いを感じます。

また、アナウンスを聞いた人が思い出すのは、以前困っていた人を見かけたときに声をかけなかった経験ではないでしょうか。「あのとき声をかけて良い経験ができたからまた声をかけよう」ではなく、「あのとき声をかけなかった自分って良くないよなぁ」と思うのではないでしょうか。だとすると、アナウンスを聞くたびに後悔と罪悪感を感じるので、耳を塞ぎたくなると内心感じているかもしれません。

そのようなことを書いてばかりいても仕方ないので、こんなアナウンスだったら声かけしやすくなるのでは?というアナウンスを考えてみました。

「困ってそうな人を見かけたら『何かお手伝いすることありますか?』と声をかけてみましょう。」
これのいいところは、具体的な声のかけ方を提案しているので行動しやすくなるというところです。

「ホームドアのない駅のホームでは、みんなでお互いの命を守りましょう。」
健常者でさえホームドアのないホームは危険です。誰かが転落して事故になったら、電車も遅れてしまうので何もいいことはありません。

そもそも困っている人に声をかけるという行動には、いくつかの心理的ハードルがあります。「恥ずかしい」「やったことがない」「かえって邪魔になるかも」「断られるかも」など。災害時ならともかく、平常時にも声かけできる人がもっと増えたらいいなと思います。僕自身は、障害同時者の立場から、人の声かけについてもっと学んで広めていきます。

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