感動ポルノに利用されたくはないけど、他の障害者の姿を見て感動します。

感動ポルノという言葉を知っていますか。

障害者がそのハンディキャップを抱えることの困難に負けず、何かに打ち込み、達成する姿をメディアで取り上げることで、意図的に感動を誘発するかたちで、注目を集めるのが「感動ポルノ」というものです。

例えば、目が不自由な人が富士山に登頂するとか、足が不自由な人が海峡を横断するといったようなことです。

でも、障害者がみんな自分のハンディキャップに対して精神的に乗り越えているわけではないから、そんなイメージを障害者に対して植え付けるようなことはやめてほしいと思います。障害者は「すごい人」や「強い人」ではないし、ましてや成人君主ではありません。ただの人間です。

それに、感動を呼ぶための手段として「障害を抱えている状態」を利用されたくはない。人に感動してもらうために障害を抱えているのではありません。

なのに、昔、テレビの「探偵ナイトスクープ」で、目が不自由な男性が、自分の子どもが生まれる前に、何かひとつ乗り越えたという体験をしたいという投稿がありました。その人は山登りに挑戦して、山頂まで登りました。

それを見たとき、不覚にも泣いてしまいました。自分も同じように目が不自由だからかもしれませんが、心が熱くなりました。普段気にしないようにしているけれど、やっぱり目が見えないのってつらいなとか、それでもそれなりに自分も頑張ってこれたかなとか、そんなことを思って泣きました。

なんなのでしょうね、感動ポルノって。障害があることが小指が他の人より短いのと同じぐらいたいしたことないこととして世の中に認知されてたら、感動を引き起こすの仕掛けとして障害が利用されることはないと思うのですが、自分自身でも障害があることに重みを置いてしまう部分もあり、すぐに答えの出ることではないですね。


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