目が見えるようになったら?と考えるとのが怖い

目が見えない状態で生活することにだいぶ慣れているので、目で見て行動するのではなく、体の感覚で行動したり、特に意識しなくても動けていたりしています。

例えば、あるとき、コンタクトレンズの上からメガネをしてしまったことにしばらく気づきませんでした。目で見て動いていたつもりが、視界がぼやけていてもそれに気づかずにそのまま行動できていました。自分では、限られた視野で見ているつもりたったのに、結局見ていないのかということに自ら驚きました。

目に障害のない晴眼者の人も、本当は目で見ていないなんてことはあるのでしょうか?

もし自分が晴眼者だったらどんな風に生きるのか、何を見てどう感じるのかが、今となってはまったく想像がつきません。

いや、これは嘘です。目が見えるようになったら?ということを考えるのは怖いです。だって、目が見えないことがつらいって自覚してしまうからです。目が見えなくても明るく振る舞っているものの、目が見えないことに慣れたというより、考えないようにする術を身に着けたということの方が近い気がします。やっぱり、景色を見て感銘を受けたり、子供の成長をこの目で見たり、映画やゲームを楽しんだりしたいです。そういう気持ちは、ついつい遠くに置いておきたくなるのですが、できることなら、無きものにせず手元に置いておきたいものです。なぜなら、ただ明るいだけでもなく、ただ位だけでもなく、両方を所有している姿が僕の理想だからです。

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